「梶尾章」という無縁仏 | 桂米紫のブログ

桂米紫のブログ

米朝一門の落語家、四代目桂米紫(かつらべいし)の、独り言であります。

8日(火)に幕の開いた今回の‘演とら’公演も、明日でいよいよ千秋楽。

今回は、「梶尾章」という青年の役を演らせてもらっている。

だいたいお芝居に呼ばれる時には、噺家でこんなキャラという事もあり、よく喋る役が多い。
…しかし今回は珍しく、内気で無口な役なのだ。

演劇公演で、飛び道具的ではなく割と普通の出方をするなんて、一昨日の10月に大阪プラネットホールで本番のあった‘才谷家演人’公演…『Dの呼ぶ声』以来である(まぁ今回も、やや飛び道具的なシーンはありますが…)。


梶尾章は、不器用だが真っ直ぐで、心優しき青年だ。

何だか世間の垢が付き始めた、中年に足を踏み入れようとしている自分みたいな人間が、ただ「不器用」という共通点を頼りに…せめてもの真っ直ぐさで、何とか彼を‘生かしてやりたい’と思う。


‘役’というのは、まるで無縁仏みたいだ…と思う事がよくある。

明日の昼夜二回公演が終われば、「梶尾章」という青年は、もうこの世からいなくなる。

明日はせめて誠実に、「梶尾章」を心を込めて弔ってやろうと思う。


技術的な事はよく分からないので…僕に出来る事は、それぐらいである。


桂米紫のブログ-080408_171045.JPG