休みの日のひとりごと。 | ちょこの間 choco-no-ma
 
今さらなんだけど。



ともだち。
たくさん要らないや。笑




子どものころの記憶の中に、
友だちいるのか?この子、と
母が心配する場面がある。爆




ちなみにわたしは
孤立してたわけじゃないし、
年齢なりの形だけの友はいたよ。
そして
友だちが出来なくてさみしい、
なんて相談したこともない。





あ、だからこそ心配になったのか?




ちょこ:友だち?別にいらん。
母:どうすんの、友だちいなくて。

ちょこ:鳥がおるからいい。←大真面目
母:鳥は人間と違うやろ!←キレ気味




今思うと
自分に友達がいないから、
その不安とかをそのまま
わたしにも反映させたのかな(勝手に)。

ワガママで面倒くさい性格の母は
大人になってから
友達が出来るタイプではない。たぶん。
さみしがりのくせにね。





友達は勝手に出来るものではないし、
ある程度は関係を作っていかないとね。

そもそも友達の定義なんて個々に違う。
時代によっても変化するでしょうし。






自分を大切にすることよりも
協調性とか和を優先することが
何より大切だと考えていたら、
そら誰かがおらんとやっていけんわ。




実際わたしは学校から帰ると
鳥かごの前にいるとホッとしていた。
うん、その頃は意識してなかった。
うん、子どもだから気づいてなかった。
相手が言葉を話せなくても
その存在だけで安心出来てた。





さて。
そんなわたしも大人になってしまいました。





何気に思うに
お会いしたことはなくて、
しょっちゅう
やりとりしてるワケじゃなくて、
それでも繋がっていられるという
なんというか、ありがたさ。


コメントを入れるときに
自然に相手のことを思い、
自分の言葉で伝えられる人。


自分がそのときに
コメントしたいなと思えばする。
しないときもある。


コメント入れたかったけど、
言葉が見つからないからやめとこ、
みたいなときもあるな。
そうそうそれも自然体。


ジャッジしない。
ジャッジされない。
これ、
したくもないし
されたくもないよね笑。




それが双方で成り立ってる。
それはシアワセなこと。
たとえ思い込みでも良い。
ふふふ自己満足でも良い。





何も無理をしなくて良い、
こんなに安心出来ることってないよ。
簡単なようで簡単じゃないもん。




リアルではなかなか得がたい。





ここは
自分が運営している小惑星で、
自分の好きなようにしたらいい。

おとななんだし。





これからも自由奔放に
よろしくお願いします。





人は常に変化するもの。
恐れず変わってゆこう。








美脚だ。