手愛手・te-a-te〜手からはじまる愛と自己覚醒の道 -16ページ目

手愛手・te-a-te〜手からはじまる愛と自己覚醒の道

整体・ヒーリング歴25年。無垢の手で触れ合い、命の安心感と自己信頼へ還る「手愛手(te-a-te)」。南伊勢のサロン(熟手調整・いのちの帰還)や、毎年開催のモロッコ・砂漠リトリートを通じ、手から始まる自己覚醒の智慧を発信します。遠い目覚めへ、一番近い手から。







執着というものは悪いものではありません。

それが、あなたを制限しないかぎりは。

執着は、否定的な意味では、自分自身を物理的、
肉体的現実と同一視させ、次のように言わせます。


「ここにいればわたしは安全だ。ここにいれば力があるし、これからもここに留まろう」


しかし物質的なものも美しいことがあります。


そして美しいものには喜びがあります。


喜びは、その物体そのものではありません。


喜びはあなたがそれを賞でることにあります。


そしてあなたに喜びと楽しみを教えてくれるものは、なんであれ価値があるのです。


もし執着を去ることがこの世の定めなら、「一体感」もまたあなたの物理次元の学校から失われてしまうでしょう。


そうしたらどうやって「一体感」を学ぶことができるでしょう。


そのようなことは体験する必要があります。


「エマヌエルの書」P125


  ☆

「執着」って聞くと、何だかマイナスなイメージがありませんか?


「執着を手放しなさい」なんてよく言われるし。


執着って、本当に悪いことなのでしょうか?


実は、執着にもいい面があるんです。


実は、執着は「一体感を学ぶチャンス」でもあります。


何かに強く執着するっていうのは、その対象と、「一つになる感覚を学ぶチャンス」でもあるんです。


僕たちがこの世界で学ぶ大切なことの一つが、この「一体感」です。


たとえば、特定の人をすごく好きになったり、大切な物やお金にこだわったりする体験も、

実は「一つになる喜び」を学んでいるプロセスなのかもしれません。


そうやって、何かとの一体感の喜びを味わいながら、みんな少しずつ

「自分と他人の境界がない意
識」へと向かっているのかもしれませんね。


でも執着には罠もあります。


執着の困った面、それは、執着って人を固定観念
の檻の中に閉じ込めてしまうことがあるんです。


人生の可能性を狭めてしまうことも。


だから「執着」の行き着く先は、「二つ」に分かれます。


・自分の可能性をどんどん奪っていくか

・目覚めて、すべてとつながる意識へと導いてくれるか

その二つの「終着駅」です。


ところで、河野が今、執着しているもの、それは「手」なんです。


触れることから始まる、癒しと目覚めの可能性の探求に執着しています。


「手を当てる」ことは、一体感というとても高い喜びを体験できる、素晴らしい機会なんですね。


そんな喜びへの導く手当てを、河野は手愛手・teateと呼んでいます。


自身の手と相手のお体が触れ合う瞬間に生まれる繋がり。


それは言葉では表現しきれない一体感の深い体験です。


きっとこの「執着」は、僕を、そして体験してくださるみなさんを、もっと大きな繋がりへと導いてくれると信じています。




【この秋、モロッコにご一緒しませんか?】


モロッコの南部に広がるサハラ砂漠は、「より制限のない思考に自分が開かれて」いく、特別な場所です。


サハラ砂漠を主目的地とする10月のモロッコ・
リトリートの募集を開始しました。


▼手愛手メソッドの創始者、ヒーラーである河野修一と行く13回目のモロッコ・リトリート