執着から始まる自己覚醒の道もある | 『魂に触れる手愛手(てあて)〜セラピストを目指すあなたへ贈る、愛と癒やしの法則』

『魂に触れる手愛手(てあて)〜セラピストを目指すあなたへ贈る、愛と癒やしの法則』

ただ触れるだけでなく、手に愛を込めて心身を癒やす「手愛手(てあて)」。当ブログでは、これからセラピストを目指す方や自己成長を望む方へ向けて、技術だけではない「本当の癒やし」の法則をお伝えします。ここで魂に触れるような深い繋がりとタッチを学びましょう。







執着というものは悪いものではありません。

それが、あなたを制限しないかぎりは。

執着は、否定的な意味では、自分自身を物理的、
肉体的現実と同一視させ、次のように言わせます。


「ここにいればわたしは安全だ。ここにいれば力があるし、これからもここに留まろう」


しかし物質的なものも美しいことがあります。


そして美しいものには喜びがあります。


喜びは、その物体そのものではありません。


喜びはあなたがそれを賞でることにあります。


そしてあなたに喜びと楽しみを教えてくれるものは、なんであれ価値があるのです。


もし執着を去ることがこの世の定めなら、「一体感」もまたあなたの物理次元の学校から失われてしまうでしょう。


そうしたらどうやって「一体感」を学ぶことができるでしょう。


そのようなことは体験する必要があります。


「エマヌエルの書」P125


  ☆

「執着」って聞くと、何だかマイナスなイメージがありませんか?


「執着を手放しなさい」なんてよく言われるし。


執着って、本当に悪いことなのでしょうか?


実は、執着にもいい面があるんです。


実は、執着は「一体感を学ぶチャンス」でもあります。


何かに強く執着するっていうのは、その対象と、「一つになる感覚を学ぶチャンス」でもあるんです。


僕たちがこの世界で学ぶ大切なことの一つが、この「一体感」です。


たとえば、特定の人をすごく好きになったり、大切な物やお金にこだわったりする体験も、

実は「一つになる喜び」を学んでいるプロセスなのかもしれません。


そうやって、何かとの一体感の喜びを味わいながら、みんな少しずつ

「自分と他人の境界がない意
識」へと向かっているのかもしれませんね。


でも執着には罠もあります。


執着の困った面、それは、執着って人を固定観念
の檻の中に閉じ込めてしまうことがあるんです。


人生の可能性を狭めてしまうことも。


だから「執着」の行き着く先は、「二つ」に分かれます。


・自分の可能性をどんどん奪っていくか

・目覚めて、すべてとつながる意識へと導いてくれるか

その二つの「終着駅」です。


ところで、河野が今、執着しているもの、それは「手」なんです。


触れることから始まる、癒しと目覚めの可能性の探求に執着しています。


「手を当てる」ことは、一体感というとても高い喜びを体験できる、素晴らしい機会なんですね。


そんな喜びへの導く手当てを、河野は手愛手・teateと呼んでいます。


自身の手と相手のお体が触れ合う瞬間に生まれる繋がり。


それは言葉では表現しきれない一体感の深い体験です。


きっとこの「執着」は、僕を、そして体験してくださるみなさんを、もっと大きな繋がりへと導いてくれると信じています。




【この秋、モロッコにご一緒しませんか?】


モロッコの南部に広がるサハラ砂漠は、「より制限のない思考に自分が開かれて」いく、特別な場所です。


サハラ砂漠を主目的地とする10月のモロッコ・
リトリートの募集を開始しました。


▼手愛手メソッドの創始者、ヒーラーである河野修一と行く13回目のモロッコ・リトリート