執着というものは悪いものではありません。
それが、あなたを制限しないかぎりは。
執着は、否定的な意味では、自分自身を物理的、
肉体的現実と同一視させ、次のように言わせます。
「ここにいればわたしは安全だ。ここにいれば力があるし、これからもここに留まろう」
しかし物質的なものも美しいことがあります。
そして美しいものには喜びがあります。
喜びは、その物体そのものではありません。
喜びはあなたがそれを賞でることにあります。
そしてあなたに喜びと楽しみを教えてくれるものは、なんであれ価値があるのです。
もし執着を去ることがこの世の定めなら、「一体感」もまたあなたの物理次元の学校から失われてしまうでしょう。
そうしたらどうやって「一体感」を学ぶことができるでしょう。
そのようなことは体験する必要があります。
「エマヌエルの書」P125
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「執着」って聞くと、何だかマイナスなイメージがありませんか?
「執着を手放しなさい」なんてよく言われるし。
執着って、本当に悪いことなのでしょうか?
実は、執着にもいい面があるんです。
実は、執着は「一体感を学ぶチャンス」でもあります。
何かに強く執着するっていうのは、その対象と、「一つになる感覚を学ぶチャンス」でもあるんです。
僕たちがこの世界で学ぶ大切なことの一つが、この「一体感」です。
たとえば、特定の人をすごく好きになったり、大切な物やお金にこだわったりする体験も、
実は「一つになる喜び」を学んでいるプロセスなのかもしれません。
そうやって、何かとの一体感の喜びを味わいながら、みんな少しずつ
「自分と他人の境界がない意
識」へと向かっているのかもしれませんね。
でも執着には罠もあります。
執着の困った面、それは、執着って人を固定観念
の檻の中に閉じ込めてしまうことがあるんです。
人生の可能性を狭めてしまうことも。
だから「執着」の行き着く先は、「二つ」に分かれます。
・自分の可能性をどんどん奪っていくか
・目覚めて、すべてとつながる意識へと導いてくれるか
その二つの「終着駅」です。
ところで、河野が今、執着しているもの、それは「手」なんです。
触れることから始まる、癒しと目覚めの可能性の探求に執着しています。
「手を当てる」ことは、一体感というとても高い喜びを体験できる、素晴らしい機会なんですね。
そんな喜びへの導く手当てを、河野は手愛手・teateと呼んでいます。
自身の手と相手のお体が触れ合う瞬間に生まれる繋がり。
それは言葉では表現しきれない一体感の深い体験です。
きっとこの「執着」は、僕を、そして体験してくださるみなさんを、もっと大きな繋がりへと導いてくれると信じています。
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【この秋、モロッコにご一緒しませんか?】
モロッコの南部に広がるサハラ砂漠は、「より制限のない思考に自分が開かれて」いく、特別な場所です。
サハラ砂漠を主目的地とする10月のモロッコ・
リトリートの募集を開始しました。
▼手愛手メソッドの創始者、ヒーラーである河野修一と行く13回目のモロッコ・リトリート


