人は病気の犠牲者になるのではない。
永遠の意識である、より高い存在が
わたしたちの意識に話しかける
唯一の手段が肉体なのだ。
健康の衰えは、身辺を見つめ直して
自分が繕う必要のある重大な傷を
分析するための合図だ。
その傷とは人間関係、
揺らいで穴の開いた信念、出口のない恐怖
わたしたちの造り主にたいする不信、
人を許せない頑な心などだ。
マルロ・モーガン
「ミュータント・メッセージ」より
☆
世間の多くの人が、病気が「敵」であり、
「征服すべき対象」だと信じているようです。
そして病気になったとき、
簡単に
自分を「犠牲者」の立場に置いてしまいます。
でも、
その人の「生活習慣」や「心の状態」と
まったく無関係の病気など存在しません。
病気という「結果」から見れば、
「犠牲者」の立場を取りたくなる気持ちも
分かります。
でも病気の「原因」から見れば
多くの場合、自分が、
「加害者」であることに気づいていません。
いつでも人は、
自分の「決め付け」「思い込み」で
自分に縛りをかけ自分の限界を決めています。
自分を被害者や犠牲者の立場に置く限り、
その人は、
自分の病気(人生)に対して「無力」です。
でも、僕たちには
いつでも人生の「再スタート」をきり
自分の生活を「創造し直す」、
「生得の権利と能力」がありますね。
実は「世の中」には
「治りたくない病人」がたくさんいます。
自分を犠牲者の立場に置くことで、
何らかの「メリット」や「心地よさ」を
感じている人は治りません。
例えば、
慢性的な症状のゆえに、周りの人が
「たいへんなのによく頑張っていますね」
と言ってくれるのを心地よく思っている人がいます。
自分の「きつさや辛さ」を人前では強調する人、
自分の症状を聞かれると、
嬉々として喜んで説明する人がいます。
月曜日になるとお腹が痛くなる子供のように、
配偶者の注意を引き、愛情を繋ぎ止める手段として
無意識に症状を活用する人もいます。
「ある種の身体障害や公害病などで、
経済的保障や保護を受けていて
障害や病気が治ってしまうと
年金や補償金をもらえなくなる」
といったケースでも、
無意識に治癒を遅らせる人がいるかもしれません。
自分につらく当たってきた人たちに
「罪悪感を感じさせるための手段」として、
また、
「精神的に復讐し、恥じ入らせる手段」として、
病気でい続ける人もいるのです。
でもそれは、
「魂の本当の望み」ではありませんね。
病気に限らず、
自分の中に健全な変化が起こるのを
「拒んでいる」部分があるとすれば、
それは、なぜなのか?
自分の深いところを探ってみる
必要があるかもしれませんね。
案外、僕たちは、
口先では、不平や文句をいいながらも
深層では現状を受け入れ、
心地よく思っていることが多々あります。
「変化しない」ことで、、、
「現状を維持する」ことで、、、
どんなメリットがあるのでしょう?
人生の流れが不調に陥ったと感じるときは、
そのように、
「身辺を見つめ直す」良い機会なのかもしれませんね。
