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社会問題から自分の思う所、本当は誰にでもある感情を探っていきます。

そいつはある日突然やってきた。
私はラベンダーが発芽するのを心待ちにしていた。来る日も来る日も、ベランダに出てはらベンダーが顔をだす予定の鉢をながめ、エールを送っていた。

ある日庭に出てみると、そいつはひょっこりと緑を見せていた。
あっ
やっと発芽したのだ。
嬉しかった。
でも、これは本当にラベンダーだろうか?といった疑惑が頭をかすめた。
雑草かもしれない、と。
私はとりあえず嬉しい気持ちを置いておいて、様子を見ることにした。

そいつの成長は早かった。
それから一週間としないうちに、何かわからない子供、からトマトへと姿を変えた。
トマトと呼んでいるが、そいつが本当にトマトであるかどうかは定かではない。
トマト、というのは愛称だ。
その葉ぶりや、姿なんかがトマトに似ているから、トマトと呼んでいた。

”トマト”の出で立ちは堂々としていた。
他の雑草”ひいらぎ”が半年で葉っぱ1枚成長したのに対して、トマトは1週間で身の丈20cmになった。茎の太さも立派なものだ。

でも、私はそんなトマトを抜く決心をした。

だってトマトは、きっと実を結ばないもの。

どんなけ愛称でトマトと呼んでも、
事実はトマトとははるかに異なるもの。

やっぱり雑草は雑草よね、と。


私はホームセンターに行き、変わりに植えたいミントの苗を探した。
店員さんにどこにあるか聞くと、次の土曜日まで入荷待ちだと言われた。
私は家に帰って、ベランダに植わったまんまのトマトを見下ろした。

実はまだ抜いてなかったのだ。
ミントを植える時に抜く気でいた。

でも抜けなかった本当の理由は
予想外に大きく育ったトマトに愛情を持ち始めていたからかもしれない。
こうやって決断を先延ばしにしている節は確かにあるだろう。
ミントが来てからじゃないと抜けないことはないんだ。

トマトを見つめながら思った。
これが本当にトマトかどうかは、あと1枝か2枝成長すれば分かる。
処分するのはそれからにしよう。それまではここの私の庭で大きく育っていてもらおう。

私はふと母親の気持ちってこんなものかもしれないと感じた。

息子が今はどうしようもない不良でも、将来を信じて待ってあげている母親。
周りから見たらクズみたいな存在なのに、母親だけは見捨てないで、将来立派な子になるのよ、と暖かく見守ってあげている母親。
今回が最後よ、次はないからね、といいながら、本当は終わることはない愛情。

私はその時が来た時、一体トマトをどうするだろうか。

私の中のトマトに対する母性は、どう変化するだろうか。