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社会問題から自分の思う所、本当は誰にでもある感情を探っていきます。

私は”トマト”のことが気になって仕方がなかった。

朝起きてはベランダに行き、”トマト”が黄色い花をつけてはいないかを確認していた。
その”トマト”もどきの苗のとなりには本物のトマトが黄色い花をつけているというのに、私は本物のトマトより、急遽、予期せず出現した”トマト”が気になって仕方がなかった。

そんなトマトは最近蕾のようなものをつけ始めた。
今はまだ緑色をしている。
これが黄色く育てば、本物のトマトだが、これがどすぐろい緑色に育てば、やはり、”トマト”はただの雑草だった、ということになる。
正直な確率からいえば、ただの雑草だという確率の方が極めて高い。
ただ、2年前に育てたトマトが収穫されずに完熟して、破裂した時に、トマトの種が落ちていて、それが最近になって、ようやく発芽した、という奇跡みたな確率を信じる方が面白かったので、私はバカみたいに、その雑草かもしれない苗を”トマト”と呼ぶことにしたのだ。

正直なところ、ただ楽しんでいるんだ。
娯楽といったところだろうか。

私の大好きな本に「星の王子様」というのがあるのだが、
星の王子様はある時に、自分の星に現れた草が、バオバブの木だったら即刻抜かないといけないから、毎日注意深く見守っていた。
でも、それはバラの花に育ち、そこから物語が始まる。

だからもし、それが本当に”トマト”だったら、面白いじゃない?
現実ではそれが本当に”トマト”に育ったところで、私はそれを食べて終わりだけれど、
トマトはきっと話さないだろうし。変な虫がついて私はそれの処理におわれるだろうけれど。

こうして奇跡みたいな確率を信じてバカみたいに”トマト”の苗を保持しているのは楽しかった。
分かりきった答えや、きっとこうでなるだろう所に向かって進むのも楽でいいのだけれど、分からないミステリーボックスから出てくるものを心待ちにしているのも楽しいものだ。

あと何日待たされるのか分からないけれど、なんで植物に対してはそのペースを尊重できるのに、相手が人間になったら、早く答えをちょうだいと、急かしてしまうのか。

自分と似た形をしていて、自分と同じ言語を共有し、同じ時代を生きていても、相手は、自分ではなく、違う過去や経験や考え方をもつ相手はむしろ全く別の生き物だと言ってもいいくらい異次元のものである時があるのに、相手のことを尊重できずに、相手の領域を侵して文句を言ってしまうことが、たまに、ある。

相手のことがわからないから、わかっている自分のペースに合わせてよ、って、言っちゃうんだ。

言葉って厄介だ。

言葉があるから、その言葉で相手を説得しないといけない、この世界のルールも厄介だ。

言葉にできないものは存在しない、と林修は言っていた。
それはそうだけれど、なんて言っていいか分からないことを言葉に変換するプロセスっていうのは存在する。
新しいものが出てきたときに、それをなんて呼ぶのか、既存のものの定義と違うから新しいものなのだけれど、それをどう定義づけて、それゆえになんて命名するのか、そんなかんじのプロセスが、なんて言ったらいいか分からない感情を言葉にする時に生じる。


それができない時にいつも自分の無能っぷりを感じてしまったりするのだけれど、多分どうにもならなかったんだろうなぁ。