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beingtobeのブログ

社会問題から自分の思う所、本当は誰にでもある感情を探っていきます。

「ルールだから」

なんでだめなんですか、と聞いた時の返答で多い答え


ルールはバカのために作られる
バカはルールがないとしちゃいけないことが分からないから
理由を説明しても分からないから、さっさとルールだからね、って言って牽制する



例えば地元にある公立高校を思い浮かべて欲しい
偏差値の低い学校ほど規則が多く、それは細部にまでおよぶ
例えば携帯電話の構内への携帯禁止、メイクは学校にしてきてはいけません
とか

一方、優秀な学校にはそれほど校則が多くないことが多い
染髪可能、ピアス可能、チャリ通可能


頭の悪い子たちは他人に迷惑なことを平気でして、その過ちに気づかない。

だから学校側は何がいけないかを、校則という形で、相手に悟らせる必要がでてくるのだ。
授業の妨げになる行為はしないでください、風俗嬢みたいな化粧で通学するのはやめましょう。
でも本音を言えば、休み時間は携帯電話は使ってもいいです、お化粧もナチュラルメイクなら大丈夫といったところだろう。

でもどこまでが良くて、どこからがアウトなのか、おばかさんには線引き できないから、管理の都合上、めんどうだから全面的に禁止にせざるおえなくなる。

その違いがどこから生まれるかといえば、マナーがあるかないかだ。


例えば路上駐輪禁止っていうのは最近多くなってきた。
10年前くらいにはそんなに多くなかったように思うが、最近増えてきた。

自転車が一台路上に駐輪する、そのことに問題はないが、それが通行人の妨げになった時に問題が発生する。
マナーがあれば、人の邪魔にならないところに停めるのだが、人の都合を考えられない人たちは自分の都合で路上駐輪して、他人に迷惑をかける。
それに嫌気がさした管理側の人間が全面的にそのエリアにおける路上駐輪を禁止する。
マナーを守り、他人に迷惑のかからない範囲での駐輪をしない人が多いからだ。

そうは言っても、ここなら大丈夫なんて、多くの人が集まる所では難しい
自分は大丈夫なようにパークしていても、誰かがそれを倒してそのままにして去ってしまう、自転車が盗まれる、自転車にいたずらされる、ことがあるからだ。

多くの人々が集まる場所ではルールも多くなる
その例が東京だ。

私が大阪に住んでいたとき、ルールだから、なんて言葉で断られることはまずなかった。
一方東京に来てから、「それをあなたに許すと他の人にも許さないといけなくなるから」
「みんなこうしてるよ」「普通こうじゃない?」
と何かにつけて、異端者は切られるような風潮に出会った。

大阪人はまず上のようなことは言わない。
普通じゃないことは「おもろいな、それ」
融通を利かしてくれる時は「特別やで」
といったように、個性と奇抜な考えを後押ししてくれる。

人が多いと、個人と対峙する時間が減るから、融通を利かせることは難しくなる。
こういう時はどうするか、ということにいちいちマニュアルブックなるものが存在する。
そこに書かれたルール以上のことは喋らない。
個人であって、個人ではない、なんの面白みもない人間が誕生する。
それが悲しいかな東京の仕組み