がんばったからこれでいいや、
これがんばって作ったからもうこれ以上手を加えたくない
もういいよ、がんばったよ
と、がんばったことを理由にそこで終わりにする人がいる。
しかし、がんばったイコール良い結果だろうか。
がんばったらといってみんな100点が取れるわけではないし、
がんばらなくても、やり方があっていたら、100点は取れる。
そういう人のことを要領がいいという。
仕事でやっていると、まあまあな出来でもそれで終わりにすることはある。
限られた時間の中で作らなければならないし、手作業でやっているのだから、いいのもできれば、合格点は出せても、完璧な出来ではないものもできる。
まあまあなものは、その程度の値段で売るし、すごく良い出来のものはそれなりの値段で売る。
でもその時に、はっきりとした終わり、到着地点を持っている。
このくらいまで仕上げたい、というゴールがはっきりとしている。
そのゴールに向けて動いていて、がんばるのは当たり前、というか、動いているだけなのだ。
ゴールに向けて歩いていて、その歩く行為をがんばると呼ぶのだろうが、歩くのは当たり前なのだ。
目的は歩く行為なのではなくて、ゴールに到着する行為なのだから、たどり着けなければ意味がない。
歩くことが大事なのではなく、ゴールにたどり着くことが大事なのだ。
だから、どの道を通るかは問題ではない。
賢い人はたくさん歩かなくてもゴールにたどり着くための近道を見つけるだろう。
要領の悪い人は散々迷った挙句にやっとたどり着くことになるかもしれない。
その過程は問題ではない。
勿論、近道が見つかって楽なことに越したことはないが、そんなに簡単に済む時ばかりではない。
たどり着くことが大事なのだ。
だからがんばったからもういいや、というのは、ゴールにたどり着く前に根を上げているのと同じで、途中放棄しているのだから、ゴールにたどり着けていない。
目的を達成できていない。
でも世の中には途中経過を評価して、それで終わらせる人がいる。
つまり何を達成できたのだろうか。
どこにも到着できていないのに、それを評価するのは間違つているだろう。
感情論で決めてしまうと、何も解決しない。
がんばった、疲れた、終わり、それでは何も仕上げられていないのだ。
厳しいことを言っているのかもしれないが、想像してほしい。
一つ物事を完成させるのは大変な労力を必要とする。
本当に努力なくしては仕上げられない。
ものをつくるのは大変で、ものすごい労力を伴う。
がんばるのは当たり前なのだ
もうひとつ必要なのが、踏ん張ること。
仕上げる手前で、しんどくなってきたときに、完成させるために、踏ん張らなくてはならない。
がんばったからもうこれでいいや、と投げてしまずに、自分のつくったゴールにたどり着けるように、踏ん張るのだ。
始めるのは簡単だが、仕上げるのは大変だ。
でも形にしたときに見えてくるものはでかい。
それを目にするために踏ん張るのだ。
がんばるのではなく、ゴールに向かって歩いていくのだ。
ゴールにたどり着ける算段があるのならば、昼寝しても、道草しても、いい。
肝心なのは完成させること。
それさえできていれば、通った道はさほど大事ではない。