休止宣言を“無かったこと”にするなりすまし誹謗中傷行為――それは記憶力の問題ではなく、倫理の崩壊である。
一度は「休止」を宣言した。
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それは本来、自らの行為を省みる覚悟の表明であり、
発信者として最低限の責任を取る姿勢のはずだった。
しかしその宣言を、
説明もなく、撤回の言葉もなく、まるで最初から存在しなかったかのように消し去る。
そして、以前と同じ調子で誹謗中傷となりすましを再開する。
これは「記憶力がない」のではない。
意図的に“責任の記録を消そうとしている”だけだ。
発言は、言った瞬間に履歴になる。
それを都合が悪くなった瞬間に消す行為は、
忘却ではなく改ざんであり、
失念ではなく不誠実である。
しかもこの行為が、
誹謗中傷となりすましという「他者を傷つける行為」と結びついている以上、
その無責任さは単なる軽率のレベルをはるかに超えている。
言うときは勢いで言う。
取り消すときは無言で消す。
結果の責任は一切引き受けない。
この姿勢が示しているのは、
言葉を使う資格そのものの欠如である。
記憶がないのではない。
覚えているからこそ、消している。
言葉の重さを知っているからこそ、
背負わずに逃げている。
誹謗中傷を行い、
なりすましを行い、
休止を宣言し、
それを無かったことにして再開する――
この一連の動きは、
衝動・依存・自己正当化だけで回る危険な行動パターンに他ならない。
言葉に責任を持たない者が、
他人を批判する資格などない。
宣言を忘れたのではない。
信用を捨てたのである。
そして一度捨てた信用は、
どれほど言葉を積み重ねても、
二度と元の形では戻らない。
