言葉の先 | 歓びのシンフォニー :『私』の先に在る真実 : 非二元・ノンデュアリティ・悟り・覚醒

歓びのシンフォニー :『私』の先に在る真実 : 非二元・ノンデュアリティ・悟り・覚醒

生きづらさとは、今ここに対する抵抗だった。
『私』という夢から覚めること。
ストーリーの外に出ること。
真実はひとつなるもの。
歓びの表現が在るだけ。



『抱っこ法』という

子育てにおいての手法に出会ったのは
産後鬱を抜けたあたりで。


その時は
承認欲求から必死で資格を取ったけど 


目の前の母親業から逃げる一心で
素晴らしい私になることでしか
存在の価値がないのだと
誰かや何かに承認してもらうことにしか
興味がなく


子どもの表情や柔らかさや匂いや
共に共有する感覚すべてが、

【教材】でしかなかった
残酷な悲劇。




でも

おもしろいことに
その時習った手法を




私が長男に。



長男が友達に。









なにも言葉は必要なくて

ただ、

寄り添う。




試合で負けて泣いている後輩の背中に
手を当てている長男に



無音のエール
無音の信頼
無音の大丈夫
無音のひとつ
無音のこれでいい



を。




ひとは

自由や安心が欲しいのではない。




そのままで
完全、完璧であるさまの
受容。


つまりそれは

ここに
いてくれてありがとう。

という

存在に対する全受容。



それは
もう既に


誰の
許可もなく


もう既に

叶っている。


明らかに。