気づきの転換点 | 歓びのシンフォニー :『私』の先に在る真実 : 非二元・ノンデュアリティ・悟り・覚醒

歓びのシンフォニー :『私』の先に在る真実 : 非二元・ノンデュアリティ・悟り・覚醒

生きづらさとは、今ここに対する抵抗だった。
『私』という夢から覚めること。
ストーリーの外に出ること。
真実はひとつなるもの。
歓びの表現が在るだけ。


引き続き

【Shoさん&AKANE お話会】へ参加頂いだ方からの感想を記載させてもらいます☺️





Yさん∶

(長文です(笑))


今回 やはり私たち皆が知りたかった核心は、

SHOさんが「気づいた」のはどの時点でそこでどのような「変容」があったのか という点にあったと思うのですが、 


「こういうことがあった時点で気づいた、こういうことがあってこうしたら自分がなくなってた」

という皆が期待していた答えにはやはりなりませんでした。


 SHOさんはご自分の見えるものをなんとか表現しようと苦心されており、 

AKANEさんにも言えることですが、私たちにとっての「エサ」につながる表現を避けて誠実に伝えようとすると、あのような形にならざるを得ないということはよくわかりました。 


「これしかない」「あるだけがある」状態、時間のない状態を

 変身前→変身後のような時間のある(時系列のある)状態に言葉で置き換えることは不可能ということ 。


このような答え、何かが何かになる、変化するというような解答を期待している時点で それは「これしかない」から外れてしまうということを、お二人ともくり返されてましたね。 


 サンタを信じる→サンタはいないと知る 

この途上のどこかに絶対に転換点があるはずだという思い込みがはずれないので、聞いている方としては歯がゆさが募るのですが、

それでもSHOさんやAKANEさんの言葉の一片一片を通じて「これ」である感じのほんの表面だけをほんの―――り味わうことができるような気がした、それだけでも充分参加させていただいてよかったです。


 お二人の言葉、いろいろあるんですが、 

「忘れる」という表現には違和感がある、それは前提として何かがあって、それが「落ちる」(失われる?)感じがする。

そうではなくて、ただ記憶が「湧き起こる」だけだ、というSHOさんの言葉や、(何かが「なくなる」のではなくて、記憶がその時点で「ある」だけということでしょうか?)←A∶そのとおり👍


 AKANEさんが洗濯物を畳んでいたときに

「あ、自分ていないわ」とふと浮かんだ というのは、別に何かが何かになる「転換点」でも何でも無く、

「今日カレーにしよう」というのと全く一緒のただのインスピレーションであって、そこで「何かをわかったAKANE」が生じたわけではない 。

 などというお話から(ほかにも沢山あるけど)、


「あ この『人』たちには主体の感覚がない 時系列が無いんだな~」

と、うっすらと、しかし確信的に感じることができます。


 これは理解ではなくあくまでも「感じ」であり、その場の微妙なリアクション、お話しされているときの雰囲気、前後の話のつながりなども含めてでないと感じられなかったと思います。

 結局、理解するのではなく、このメッセージに触れていろいろ感じ取れたらそれでいいかなあ ていうかそれしかできんなあ という気持ちです(その先に気づきがあるわけでは当然ない) 






憧れの地球グミをゲットした4男坊💞
ユーフォーキャッチャーで旦那がとったらしい。体に悪そうだ💧






 「このメッセージは個人にはどうしたって入らないというなら、AKANEさんはいったい何を発信したいんですか?」というようなことをコメントされていた方もおられましたが、 確かにもっともです。


私もどうしても時間の流れを前提として言葉で理解してスッキリしたいと思います。


でも個人に受け入れられやすいように加工しようとすればいくらでもできるのに それではAKANEさんには意味がないというかそういう発想は浮かばないんでしょうね、不誠実だから。

で、下手したら逆ギレされて、割に合わんなあと思われてるかもしれませんが、私にはとてもありがたいことです。 


 4時間の長丁場、AKANEさん SHOさん 本当にありがとうございました。そしてお二人からさまざまな言葉を引き出してくださったYさん、ほかの質問者さん達に大大大感謝です。

 



…………………………





Yさん、長〜い感想をありがとうございました☺️✨


転換点(気づき)って

ありません(笑)


個人はその瞬間(ゴール)があることが大前提で望むけど、

もうすでにソレであるのだから、

体感的になにかが変わる、ということではないのですよね。


何かが落ちたり消えたり

何かになったりする

という発想から抜けない限り入らないのかも。


でもこれ、言葉のニュアンスで感じてもらうことしかできないのかなと。



そして、

この当たり前のことを

境地とし所有しようとしてしまう個人の根底にあるもの。

それが巨大過ぎるなら、このメッセージは入る余地はないでしょう。



だれもいない

という話を

誰かが手に入れようとしているのだから(笑)