”愛とは何か” | 歓びのシンフォニー :『私』の先に在る真実 : 非二元・ノンデュアリティ・悟り・覚醒

歓びのシンフォニー :『私』の先に在る真実 : 非二元・ノンデュアリティ・悟り・覚醒

生きづらさとは、今ここに対する抵抗だった。
『私』という夢から覚めること。
ストーリーの外に出ること。
真実はひとつなるもの。
歓びの表現が在るだけ。




生涯をかけて

悟りを求める人たちにいっぱい会ってきた。


みんな
悟りたいのではなかった。


「愛とは何か」を
それを知りたかっただけだったよ。


愛を指し示すことは不可能。
愛を与えることも無理。


でも、
愛を共有することはできる。


そんな確信は
静かに、熱く、ココに在る。






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全てが自分のため。

そんな個人に

大切なものは何も無いなんて
入るはずないよね。








一度閉じてしまった
存在に対する絶対なる受容を
取り戻すことは難しい。


テーブルの上の知識や理屈じゃ無理。
経験豊富なカウンセラーでさえ歯が立たない。



非二元は
最後の救いなのだろうか?


何も無さに出会うのは
愛を欲する誰かではない。


この欠乏感は
無意識だから厄介なんだ。


何かで埋めることで解決しないと知りながらも
無意識だから止められないんだ。


その何かで埋める行為が終わることはない。
気づきが起きるまでね。


だって
個人は求めてなんかいないもの。

子どもが砂場で山を作って遊んでいるのと同じで
飽きることなく私の次を創り続けてしまう。
それらは永遠に完成品にならない。

これで良し!という誰かはいないのだから
終わらないのだ。

個人が納得することはない。


気づきは
確信なんだよ。

確かめる余地なんかない。


明らかな
確信。


それを共有することは不可能。

でも、
愛を共有することはできるかもしれない。


言葉ではなく
経験として。


そんなアイディアはずっとあるのに
なんだかカタチにならないなぁ〜






アホなメンズはイタズラ三昧💧