より『私』になる | 歓びのシンフォニー :『私』の先に在る真実 : 非二元・ノンデュアリティ・悟り・覚醒

歓びのシンフォニー :『私』の先に在る真実 : 非二元・ノンデュアリティ・悟り・覚醒

生きづらさとは、今ここに対する抵抗だった。
『私』という夢から覚めること。
ストーリーの外に出ること。
真実はひとつなるもの。
歓びの表現が在るだけ。



私は飲食業を営んでいるから
偵察じゃないけど、食べ歩きはよく行く。


インスタやグーグルのクチコミなどの情報を参考に
期待を膨らませても、
そこで体感するまでは、あくまでイメージだ。










今、スパイスカレー作りにハマっているので
勉強がてら、カレー専門店によく行く。



例えばこのお店は
看板のロゴがおじさんの顔だったから、
てっきりおじさんが作っていると思いきや
若い女性がやっていた。


私達はそーやって
きっと○○であろう。と、憶測が起きる。

先入観とはつまり過去の経験の引き出しであり、
それを踏まえた上で、未知に期待が起きるのだ。

それを超えたか裏切られたかの判断も
起きてくる。

が、

どこまでいっても、ここからの主観でしかない。


私の期待 
私の評価

私による私だけの意味付け なのだ。

そこから出ることは
ない。




例えば私の場合、
情報量が少ないお店の場合は
未知への期待が高まる。

(食べたことのない料理には抵抗(恐れ)も起きることも同義)







情報量が少ないここのカフェは
まったくもって期待を外したのに、
意外性により何かが満たされた感覚があった。



お腹いっぱいだったから
コーヒーだけのつもりが、
ケーキを食べてみたい欲求が湧いたのも、不思議。
(普段甘いものは全く食さない酒飲みなので😚)








看板がない。(極寒の中、探し歩いた💧)
汚い手書きのメニュー。
コンクリート打ちっぱなしの寒すぎる店内。
拘っているからこそなのか、小さな規約がある。
モカなどの甘いドリンクを注文の人は、ケーキは付けられない、とか(笑) 3人以上の来店は予約しないと入れない、写真撮影は手元のみ、とか。

展示、販売しているアクセサリーや小物などは
高額(2万円くらい)過ぎて売れないからか、ホコリまみれ。
ケーキは時価で提示なし。
店主はノーマスクが「スタイル」だそう(笑)。



こだわり抜いた独特の感性が
私には妙にマッチしちゃったから心地よかった。
逆に友人はありえないソワソワして帰りたそうだったけど😂



ちなみにこのピスタチオといちごの
なんとかかんとかってケーキは
お会計からドリンクを差し引いて計算したところ
ひとつ約1200円だね😅


何よりも意外だったことは、
へんくつジジイに違いないと思っていた店主が
30代前半の茶髪だったってこと(笑)




最近自分のカフェの方向性に霧がかかっていたので、


あ〜
これでいいんだなぁ〜


と、
妙に納得することが起きた。



もちろん食べることが好きだけど
いろんな人や空間(雰囲気)と共振することが
何より好きな私。


その人がその人であることは
こーしてエネルギー的に心を開くんだよね〜


まさに
歓びのシンフォニー♪





わたしは『私』であることに
それ以外になりようがない
既にそうであることに


歓びをみたら


いいね😌✨