真我を見つけることが悟りではない | 歓びのシンフォニー :『私』の先に在る真実 : 非二元・ノンデュアリティ・悟り・覚醒

歓びのシンフォニー :『私』の先に在る真実 : 非二元・ノンデュアリティ・悟り・覚醒

生きづらさとは、今ここに対する抵抗だった。
『私』という夢から覚めること。
ストーリーの外に出ること。
真実はひとつなるもの。
歓びの表現が在るだけ。





言葉は、
それそのものを指せないことを大前提として


意識
自我、真我

悟り
覚醒


それらが
個人を主体とした物語(ストーリー)
の産物である。

と、いうことです。



物語は対象物でしかなく
実在していません。


個人の『私』が起きているときに在る物語です。


その個人の物語の中で
もし、個人が真我を見つけるとしたなら
それは対象物でしかないということ。







風呂上がりは大好きな黒ビール😍







自我も真我も
対象物。


そして本当は
それらを含め

なにもないです。




言葉を外したら

なんでも無いものが

ただ

在り


同時に

無い




嵐の中だろうが
平安であろうが


なんでもないものとして
ただ、在る。


それらは
在るときに在るだけで
それは完結している。



個人は
この完全性をみることは出来ない。


何故なら個人も
対象物(現象)だから。



そして
悟りなどないと気づくのも
個人ではない。




これは、

自分だけの悟り(概念)を握りしめ
正解探しに明け暮れている個人のエネルギーには
絶対見つからないこと。




平安だけを求める愚かさに
気づいたとき、

その個人のエネルギーがゆるむかもしれないね。








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