いつから『自分』が始まったのか | 歓びのシンフォニー :『私』の先に在る真実 : 非二元・ノンデュアリティ・悟り・覚醒

歓びのシンフォニー :『私』の先に在る真実 : 非二元・ノンデュアリティ・悟り・覚醒

生きづらさとは、今ここに対する抵抗だった。
『私』という夢から覚めること。
ストーリーの外に出ること。
真実はひとつなるもの。
歓びの表現が在るだけ。




いつもありがとうございます。

歓びの表現者∶AKANE💫です。




♦このブログ『歓びのシンフォニー』では、
スピリチュアルや願望実現ではない
事実のみを語ることをモットーに
自身の気づきを言語化しています。



願望実現やスピリチャルに疲れた皆さん
生きづらさを感じている皆さんに向けた

非二元(ノンデュアリティ)という
ひとつの提案です。


それは
すべてが完全であるという気づきにより受け取る『ギフト』


すべてが愛からの起こりであるという真実に出会う可能性の話。


苦しみや哀しみ
不安や恐れさえも 

歓びの表現であったと気づく物語。


そんなワクワクするような
アイディアをAKANE💫と共有しませんか?







公園の小川に野生のクレソンが!!
焼き肉のお供にゲットしました😋






前記事の続きです。
公式ラインで繋がってくれたAさんとのやり取りをシェアさせて頂きます。








Aさん∶

(続き)
もう一つの知りたい点は、「世界というのは別々に存在している」という点です。
先に書いた全てが立ち現れる「場」と言えるようなもの、そこが無限にあるのか?ということです。



今回2回に分けて開催する
『現実の紐解き会』ですが、

まさに、
この、

「世界というのは別々に存在している」

ということを明らかにするワークショップなんです。



何度も動画やブログで言っていますが、

まず、

自分と、自分の現実は常に同時にあるという事実です。

いつもそこからの視点で
同じような日常が繰り返されていますよね?

ですが、
その視点、その感覚、そのポジション(役割)は、
あなたしか体験できないですよね?


例えば心友とランチしていても、
同じ空間、同じ料理を味わっていたとしても、
いつもそこからの情報しか感じることができない。

心友の身体にスポッと入って、心友のポジションからランチを楽しむことは不可能です。


つまり、
起きていることを認識するのは
常に今ここであり、
それ以外がないのです


自我は、記憶から憶測して
あの人もきっとそうだ、、みたいなことをやりがちだけど、
他人の感覚や考えなど、決して分かりませんよね。



では、
いつからその視点、その感覚、そのポジションが始まったのでしょうか?



いつから
自分が始まったのでしょうか??







旦那と同じ景色を眺めているように見えるけど、旦那はいないんだよね








自分とはコレである。

思い込んだとき、

自分の世界とは、この目の前のもの(対象物)だと
思い込んだ。




自分とは違う他人がいる。

思い込んだとき

比較が起きた。





自分のちからでは生きていかなければならない。

思い込んだとき、

存在に価値や意味を付け、愛されること、認めてもらうことを望むこと(承認欲求)が動機になった。




これが答えです。



つまり
全部『思い込み』だよ。ってこと。




でも、これを知識で留めてしまうから
足踏みをしてしまうんです。



他人はいません。

自分とは違う誰かがいる、と、
思い込んだから他人がいるという世界があるだけです。



つまり、
現実(ストーリー)とは、
あなただけの思い込みにより創られたスクリーンです。


あなただけ、のね!











私のカフェの看板メニューのもつ煮込み。
生モツを湯がいてトロトロに煮込む絶品🍺✨
でも、おかげで排管が2度も詰まってしまった😱







Aさんとのやり取りはまだまだつづきます😁
お楽しみにー♪












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