いまだに驚くことがあります。
それは楽しいのですが、あまりに多いと自分にガッカリ。
「よへほ」は「さぁ酔いなさい。」でした。
こんにちはBJです。
突然ですが「本居宣長さん」についてです。
何をいまさらとお思いになるでしょうが。
ちょっと考え違いをしていたかもしれませんので。
実は、医者としての宣長さんです。
漢方医として晩年まで働いていましたけど、国学者としての宣長さんが有名になりすぎて漢方医の宣長さんは陰に隠れております。
なんか、漢方医宣長は「ほんわかエピソードの種」でしかなく、国学中興の祖としての活躍がメーンの宣長さん。
そんなイメージを私は抱いていました。
ですけど、医者ですから当然のように「老病苦」を相手にする訳で。
その先にある「死」も当然看取りますでしょ。
そこなんですよ。
それを見落として「ほんわかエピソード」で終わっていいのか。
疑問になって来ました。
あの唐突ですが「慢心」と言うのは誰にでもあります。
周りが「大先生」と崇め(あがめ)、国内有数の学者として持ち上げられる。
自分の業績に自信がついてくる。
古典の掘り下げと解釈に置いて右に出る者はいない。
私の解析こそが正しい。
そう思ってくるでしょ。
人間ですもの仕方のない事です。
実際、あれほど深読みをして理路整然と古典を解析していた宣長さんが。
どうしたことか、「古事記」に至ると神がかってきます。
他の意見を顧みず、「すべて信じよ。」で押し通します。
ほとんど古事記教の教祖様。
「流れ2」の後半で書いた通りです。
これって一種の慢心ではないかと・・
世界をすべて理解した。
私に分からないものはない。
みたいな。
でもね、この狂気のごとき「古事記信奉」がありながら、晩年に書いた「うい山ふみ」では元の理路整然とした宣長さんがいます。
なんかよく分からない人だと思っていましたが。
最近、医者って死に向き合っているよなと思い至り。
国学者として慢心のあまり天にも昇ろうかと言う「大天狗宣長さん」の足を「医者の宣長さん」が押さえつけていた。
のではないかと。
「鈴屋答問録」においても弟子の質問に関して縦横無尽の考察を述べているところなど、さすが宣長さんと思わせるのですよ。
「神がかり」ではない。
本人は「医師宣長」を大切にしていた。
と、考えると彼が死の前年に書き残した「遺言書」が、なぜあんなに風変わりなものかを理解できるかもしれない。
そう思っています。
人の儚さを医師として自分の目で見ていた人です。
淡々と自分の葬儀と墓の図面を書いている時の宣長さんは医者の目をしていたのかもしれない。
異様なほどの桜好きも、そのへんに理由があるのかも。
ちなみに、桜と言っても私の嫌いな「ソメイヨシノ」ではありません。
今でいえば「山桜」です。
なんか突然思いついたので書いてみました。
ではまた。
「よへほ」は熊本県山鹿市の灯篭祭の合いの手。
女性が頭に紙灯籠を載せて踊ります。
一度は見てみたい祭りです。