古書店にプラトンの「国家」を買いに行って、本居宣長の「うい山ふみ」を見つける。

やはり面白い「本居宣長」さん。

プラトンさん、ごめん!

 

こんにちはBJです。

今日は、「老い」についてです。

私も日々老いを実感しておりますが、周りの先輩諸氏を観察して「反面教師」になってもらっております。

なぜ、反面教師か。

 

なんとも五月蠅い。

 

引退後の生活と言えど、世間様と没関係ではいられません。

それは、生きていくために必要な事だからです。

あれやこれや、煩わしいことが沢山出てきます。

家族とか親戚とかご近所さんとか。

人間関係から逃れるすべはなく・・・

難儀な事です。

 

でも、なるべくシンプルに生きて行きたいと思っております。

シンプル。

そう思っていても人生が単純になる訳ではありませんけど。

思っているだけでも違いが出ます。

なんにしろ口出しを控(ひか)えます。

 

だいたい老人は、すぐに若い人に口を出したがるもの。

仕事で修羅場を経験したことのある人は、なんか伝えたいのです。

例えば、修羅場経験の向こう側に人生の指針がある。

みたいなこと。

やっかいなのですよ、この「俺は知っているんだ。」と言う感覚。

 

妄想です。

 

時代が違うのですから。

本人は、普遍的な人生の指針とか思っていても、残念ながら古くて通用しないことが多々あります。

例えば、会社内での人間関係、上司との接し方や仕事の見せ方、果ては人生訓。

伝え方も前置きが長いし、関係ない人の話や「やっぱり自慢話」であったりと思った通りの展開になります。

適当に聞いていると怒るし・・・

手が付けられない感じ。

 

そんな古い人生訓をたれる前にスマホの操作を一つでも覚えろよ!

デジタル弱者と言う言葉に胡坐をかいて

分からん。

知らん。

出来ない。

では、話にならんでしょう。

 

歴史上の偉人達も年老いて晩年になるとフニャフニャになります。

だって頭が回らないもの。

なんか嫌ですよね。

言わなきゃいいことを言ったりする。

よせばいいのに若い人に教えたがる。

まったく、的外れも甚だしいのに。

たちが悪い、まさに老害ですね。

 

よって、私は何も話さないことにしました。

聞かれれば、それ相応のことは言いますけど普段は黙っています。

なんか問われても聞いています。

深く聞いています。

そうすると相手の意図が見えてきます。

いと?

相手の聞きたいことは何なのか。

聞きたい事?

そうです、自分の出した答えに共感してほしい人ばかり。

質問ではなく共感を求められているのです。

 

よって答えは「同調」。

 

なんだ簡単な事じゃん。

そうやって、やり過ごしています。

つまんねぇ質問ばかりでうんざり。

面倒が起こらないように、議論にならないように。

コロナ禍で唯一良かったことは、あまり人と話さなくていいことです。

話さなければ間違いは起こりませんから。

 

人に何かを「さとし」たがらない。

自慢話をしない。

自分を大きく見せない。

でもって、自分に出来る小さな行動を続ける。

行動は、継続が大事です。

今のところは守れています。

掃除!

 

自分の世界を小さくしていく努力が必要だと気づきました。

自分の行動範囲やつきあう人数を小さくしています。

コロナ、役に立っています。

多少なりと役に立ってもらわなければ・・

 

自分の世界を小さくしていく利点は、最小の生活とは何かを常に考えることにあります。

生活と言う軸足を意識して見直す。

現代で言うなら「お金」の使い方を反省すると言う事です。

もらうお金と出ていくお金を精査する。

本当に必要な物か考える。

現代に生きて行くうえで大変必要なことです。

 

自慢ばかりの爺様達も「孫に出すお金」を貯めるのに知恵を絞っています。

私は子供がいないので当然「まご」もいません。

よって、「孫は天使だ。」とか「孫のためなら何でもする。」と言った戯言を本気で聞いてはいません。

しかし、病気自慢と孫自慢は爺様たちの2大自慢。

孫に尽している「自分の自慢」なんですが、人のため(孫)に役に立っている俺。

つまりは、承認要求の成せる技。

頑張りすぎてお金が無くなった人もいる。

バカですけど可愛いもんです。

 

聞き流しが得意になってきた私。

進化しているようです。

 

ではまた。

 

年に1~2回は、本気になって怒ったりします。

「怒り方」を忘れないようにするためです。

怒るのも訓練と復習が必要ですから。