人の意見に従う心地よさ、責任を持たなくていいしね。

自分で考えなくていいから。

でもそれで、大丈夫かしら?

 

こんにちはBJです。

とうとう来ました「与謝野晶子様」。

なんか短歌の世界で新機軸を打ち出した女性とか、新たな表現を発見した女性とかに言うじゃないですか、新聞とかニュースで

 

与謝野晶子の再来!

 

それだけでも晶子さん本人が、凄い人だと分かるのですけど。

私は例の詩文オンチ。

今一つ凄さの中身が分からなかったのです。

鈍感でボンヤリですから。

しかし、さすがに彼女の名前は知っておりましたし、恐るべき詩も知っています。

はい、有名な詩です。

 

「君死にたまふことなかれ」

 

全文を書きますが、この詩が詠まれた時代背景から入ります。

時は、日露戦争の真っ只中。

日露戦争と言えば、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」。

読みました?

世界が無謀な戦として見ておりました。

 

日清戦争でなんとか勝利したものの、疲弊しきった国力を全部つぎ込んで、なんと国運をかけた戦です。

その中で、ロシア旅順艦隊の壊滅を期して乃木希典が率いる第三軍が旅順攻略を行います。

つとに知られた激戦です。

まさに死人の山。

そこに、彼女の弟が送られたのです。

周りは、「死んでも勝つ。」的なスローガンばかりでしょう。

そんな世情の真っただ中で堂々と発表された詩です。

では、

 

「君死にたまふことなかれ」

 

ああ、弟よ、君を泣く

君死にたまふことなかれ。

末に生まれし君なれば

親のなさけは勝りしも、

親は刃(やいば)をにぎらせて

人を殺せと教へしや

人を殺して死ねよとて

廿四(にじゅうし)までを育てしや。

 

堺の街のあきびとの

老舗を誇るあるじにて、

親の名を継ぐ君なれば、

君死にたまふことなかれ

旅順の城はほろぶとも、

ほろびずとても、何事ぞ、

君は知らじな、あきびとの

家の習いに無きことを。

 

君死にたまふことなかれ。

すめらみことは、戦ひに

おほみずからは出(い)でまさね

互(かたみ)に人の血を流し、

獣(けもの)の道に死ねよとは、

死ぬるを人の誉(ほま)れとは、

おほみこころの深ければ、

もとより如何(いか)で思(おぼ)されん。

 

ああ、弟よ、戦ひに

君死にたまふことなかれ。

過ぎにし秋を父君に

おくれたまえる母君は、

歎きのなかに、いたましく、

我子を召され、家を守(も)り

安しと聞ける大御代(おほみよ)も

母の白髪は増さりゆく。

 

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く

あえかに若き新妻を

君忘るるや、思えるや。

十月(とつき)も添はで別れたる

少女(おとめ)ごころを思いみよ。

ああ また誰を頼むべき。

君死にたまふことなかれ。

 

全文です。

すべて悲憤で統一され、言葉の調子も内容も一級品。

しかしなぁ・・・・

「すめらみこと」って天皇陛下なんですよ。

 

「おほみずからは出(い)でまさね」

天皇陛下は戦いに自ら出ては行かれない。

 

もうこれだけでも凄すぎる(危なすぎる)表現。

よく出版したな明星。(雑誌名です。)

だって戦時中ですよ。

国が無くなるかもしれない戦争をやっている最中に、ここまでストレートに反戦をうたって、よく無事だったな。

あろうことか、天皇陛下まで持ち出して。

凄い人ですよ。

非難を浴びるのは承知の上。

当然、凄い非難が上がります。

 

「皇室中心主義の眼を以て、晶子の詩を検すれば、乱臣なり賊子なり、国家の刑罰を加ふべき罪人なりと絶叫せざるを得ざるものなり」

 

内心はどうあろうと戦いは始まっていますから、こんな非難が山ほど出る。

明治時代の天皇は「現人神」ですからね。

今とは反響が桁違いです。

ただただ「凄い人」だとしか言葉が出ない。

この胆力。

与謝野晶子の再来なんて

 

ありえんでしょ!

 

「北条政子の再来」がありえないようにです。

ちなみに、この弟さん生還します。

詩に守られた訳じゃないでしょうが、無事に帰ってきます。

 

この、一番のお気に入りの詩を書いて終わりにしてもいいのですが。

やはり、世を騒がせた「みだれ髪」読みたいでしょ。

では、時間を戻して書いちゃいますか。

晶子さんですものね、書かねばならぬかな。

 

ではまた。

 

あっ!若いころの晶子様の短歌は、和泉式部に似ていると考えているのは私だけでしょうか。

私だけかもしれないな、うん。