世の変化に応じて外見を変えていく。
でもいつの間にか中身も外見に合わせて変わる。
怖いけど真理です。
こんにちはBJです。
大乗仏教の誕生秘話であります。
田舎に追いやったはずのバラモン(ヒンドゥー)教が、教義の簡素化やら土着信仰を取り込んだうえ、牛の生贄もやめて都市部に再進出してきました。
困りますよね、仏教さん。
生活が、かかっていますから。
お釈迦様による仏教の教えは、個人の「解脱」に行く道です。
いわゆる、輪廻転生からの解放です。
難しいのですよ、教義が・・・
涅槃とか悟りとか解脱とか。
それにゆるいながらも戒律があったりして。
仏教離れが加速していくのです。
だって新生バラモン(ヒンドゥー)教側は
信じれば救われる。
ですもんで。
難しい教義とか戒律とか無いのです。
これには、地方労働者とか地主達もコロッと寝返える訳ですよ。
牛も出さんでいいし。
低き、易き(やすき)に流れるのは人の常です。
都市部のブルジュワジー達もコロッと行き始めました。
まずいですよこれは、
仏教存続の危機。
ここで現状を打破するのは、やはり「若い力」なのです。
革命派の僧侶達は言います。
「自分一人が救われればいい、それはやめよう。」
個人の悟りによる個人の輪廻転生からの解脱を否定します。
釈迦の教えから、次のステージへの移行です。
と書くと、なんか分かったような気になるでしょうが・・・
釈迦の教えからの逸脱。
と書くと、とんでもないことをやったことになります。
こちらが、より近いと思います。
革命派僧侶は続けます。
これまでの教えは、自分一人を救う、それは小さな乗り物に一人だけ乗って幸福になるようなもの。これを小乗仏教と呼び我々は否定する。
仏教革命における闘争宣言ですね。
我々は、大勢の人が乗り込み幸福になれるような大きな乗り物を目指す。
そう言う教えをこれからの仏教とする。
行動の基本方針をぶち上げておいて、
これを「大乗仏教」と呼ぶ。
革命スローガンの出来上がり。
ふ~ん。
例えば、バラモン教が生贄大好きでなければ?
例えば、バラモン変更ヒンドゥー教逆輸入がなければ?
例えば、人の低き、易きに流れる気質を見抜いていれば?
例えば・・・・
と、歴史を逆方向から見ると、いろんな疑問もわいてくるもんですけど、
*実際それが楽しくもあるのですが。
仏教革命が始まるわけです。
この過激派僧侶たちは、「大乗仏教」の名を得て「経典」を作り始めます。
これが大量経典の出発となった訳です。
無論、お釈迦様は、この経典を知りません。
先に書いた通り「般若経」「法華経」「浄土三部経」なんか出来ちゃいました。
それと共に、いろんな仏様が生まれます。
もう・・・とんでもなく沢山。
阿弥陀仏とか観音菩薩とか盧舎那仏とか大日如来とか・・・
あぁ・・・・
なんか、また思い出します。
その人の思想が、深ければ深いほど「腐るのは早い。」
仏陀が説いた「個人の解脱」からは、かなり遠いところに来てしまいました。
こうして、お釈迦様の知らない仏教が出来上がったのです。
大乗仏教では、お釈迦様も一人の仏として扱われます。
なにしろ仏様の数が半端ではないので・・・
大勢の仏様のうちの一人です。
そりゃ怒りますよ。
小乗仏教の皆様は。
今は、小乗仏教と言わず上座仏教と言うそうです。
この上座仏教では、仏様は「お釈迦様」だけ。
ですが。
スリランカを除けば、大乗仏教が大勢を占めております。
ヒンドゥー教に対する仏教の巻き返し。
ある意味、凄いな人間。
私の所は、浄土真宗です。
これは、浄土三部経がベースでしょう。
阿弥陀仏の信仰ですから。
「南無阿弥陀仏」
と手を合わせれば極楽浄土に行ける。
難しい教義も無い。
戒律も無い。
あれあれ
ヒンドゥー教ばりの教えになっている。
信じるだけで救われる。
簡単で分かり易く短い教え。
教える方も簡単。
やっぱそうなるよな。
室町時代に大量の信徒を獲得できたのもうなずけます。
と言う訳で、お釈迦様の知らない仏教の話でした。
ところで、こぼれ話を一つ。
観音菩薩様は、変化(へんげ)が得意でしょ。
千手観音、馬頭観音、などなど。
これね、ヒンドゥー教のヴィシュヌの変化を借りているものらしいです。
それにヒンドゥー教では、釈迦もヴィシュヌの変化の一つと言っているらしいですよ。
貸し借りしてんだ、凄いぞインド。
ではまた。
なんかゾロアスター教に興味が出てきた私。
宗教は、嵌まり込むと怖いからほどほどにしておくつもり。
与謝野晶子さんに行っちゃおう。