価値とは、希少性と必要性でしょ。

であれば、個人は唯一無二の存在ですから「希少性」はクリア。

後は、誰かに必要とされること。

 

こんにちはBJです。

やっと「流れ2」の完了です。

と、言う事でズバズバ書きます。

前回、本居宣長さんが「古事記」に求めた日本固有の道は、何度も書きましたけど

「受行うべき道なきを道とする。」

なんですよ。

これは変わりません。

補足を書いておる次第。

 

「天皇の天下をしろしめす道、四海万国にゆきわたりたる、まことの道。」

 

であると言うわけですが、天皇の天下ってなんか大げさで引っかかりませんか。

実は、宣長さんは「古事記」の記述を無批判で信用することを基本としているのです。

全部本当の事で「寓話」とかの作り話では無いと。

そうすると、天照大御神から連綿と続く天皇の系譜も真実であり、神の子孫である天皇が、今もいらっしゃるではないか、こりゃ凄い。

で、あれば我々は、

 

「ただ天皇の大御心(おおみこころ)を心として、ひたぶるに大命(おおみこと)をかしこみゐ(い)やびまつろひて、おほみうつくしみの御蔭(みかげ)にかくろひて、おのもおのも祖神(おやがみ)を斎祭(いつきまつり)つつ、ほどほどにあるべきかぎりのわざをして、穏(おだひ)しく楽(たぬし)く世をわたらふほかなかりしかば」

 

つまり・・・

 

「今はた其の道といひて、別(こと)に教へを受て、おこなうべきわざはありなむや」

 

なんとなく、読み流していただければいいかな。

宣長さんは、考えます。

上代の人々は、「道」と言う小賢しい定義がなくとも人々は「ゆたかにおおらかに」生きてきたではないか。

「道」と言う定義がなぜ人に必要なのか。

神の系譜である天皇の導きこそ本当の意味での生きる指針ではないか。

我が日ノ本には「道」の定義より、確実な現人神が御所におられるではないか。

 

神の他に何が必要か・・・

 

と言う感じです。

日本独自の「道」を見つけるのではなく日本の神の系譜を信じる。

神あらば「道」の是非など無意味ではないか。

 

「古事記」を真実と捉えればそうなるわけですよね。

宣長さんの「古事記伝」への論難は、この物語を無批判で信じない人達がしかけたものです。

まぁ、普通信じませんけど。

信じている宣長さんにすれば

 

なんで分かんないかなぁ

 

なわけで。

 

イッペン外からの知識から離れて見なさいよ。

 

なんですけど論敵は当時の知識人。

儒学や仏教の教えとオランダあたりからの新知識満載な頭でくるものですから話が嚙み合わない。

無論、宣長さんも同じ知識ぐらい持っておりますが、それは「古事記」の解釈に持ち出さない。

その上で、なんとか説明しようとしますので・・

言葉が足りない。

だいたい「道なきをもって道とする」ってもともと矛盾してますし。

うまく伝わらないけど諦めない。

 

しかも生来の頑固者で負けず嫌い。

議論を吹っかけられると必ず答えてしまう。

とうとう言わなくてもいいような事まで言っちゃう。

 

「四海万国にゆきわたりたる、まことの道。」

これは、日本だけではなく他の国においても日本の神が支配していると宣言している訳です。

つまり、太陽は天照大御神であり全世界を照らしているのであって

 

「日本の神は、世界を統べている。」

・・・こうなると、突っ込みどころ満載。

で、上田秋成さんのように地球儀問答まで行くわけです。

売り言葉に買い言葉。

なんか、子供のケンカみたいになって物別れ。

は、以前書いた通り。

宣長さん、本気だったのか怪しいと思いますけど。

ところがね。

 

本気も本気、間違いない。

 

と言うお人が現れて

「平田篤胤(ひらた あつたね)」さんですけど。

宣長さんの弟子を名乗っておられますが、宣長さんは彼を知りません。

何故なら、亡くなっていたから。

よって篤胤さんは、自称「死後の門人」と言い張っておられます。

宣長さんの古道(古事記解釈)の精神面のみ受け継ぎ、ほとんど妄想と思える

 

八紘一宇(はっこういちう)

*天皇総帝論:日本を中心に全世界を一家とする。

 

を推し進めていきます。

と言っても、この思想に則った神道形成です。

まぁ、当然挫折します。

でもこれね、非常事態の日本にとっては都合のいいスローガンだったんですよ。

第二次世界大戦の時、国家スローガンになりました。

篤胤さん、ほとんど狂信的でさえあります。

いやだな。

よって、篤胤さんはもう書きません。

 

最初のころ書きました、漢方医だった宣長さん。

お金のため、つまりは生活の土台。

全国に「本居宣長」の名が売れて仕官の誘いさえありました。

彼は、老齢を理由に断ります。

で、死ぬ直前まで「漢方医」を続けています。

このあたり、生活人として私は好きです。

生活人でありながら江戸期屈指の思想家でありました。

 

「今よりは はかなき身とは なげかじよ 

千代のすみかを もとめえつれば」

 

辞世の句です。

 

「流れ2」終了。

 

次は、何処に行きましょうか。

少し休憩します。

ではまた。

 

与謝野晶子さん、やっぱりいいな。

そっちに行こうかな。

宗教もありかな。