「グローバル人材=国士無双」でビックリ!!

前回、「例の説明」が長すぎて主題がおろそかになってしまいました。

すみません、今回は超真面目です。

 

こんにちはBJです。

本居宣長さんが、こだわりぬいた「言葉」と言う物。

人の意思疎通に欠かせないものなんですが、言葉の根本はなにやら「得体の知れないもの」だと言うところまで考え抜き、そこから出発して言葉の世界に入り込みました。

そして、ついに「あわれ」と言う言葉に遭遇し、この言葉には喜怒哀楽のすべてが含まれると言う歌論を立てます。

 

「物のあはれ」論。

 

長いこと引っ張った「流れ2(源氏物語)」で書いた通りです。

とまれ。

考えてみてください、貴方の考えを100%完璧に言葉だけで伝えることが出来るでしょうか。

愛情や怒りや悲しみを言葉だけですべて伝えるには限界があるでしょう。

ですから、不完全な「言葉」でしか意志の疎通が出来ない人間達は、言葉と共にジェスチャーや表情で補うと共に「声に抑揚」をつけて相手に届けます。

言葉だけでは伝えきれない感情があると言うことです。

 

簡単な例は、「いや(嫌)。」でしょうか。

この言葉は、「否定」の意味に使われますが、場合によっては「肯定」の意味を持ちます。

生活していれば、いろいろな場面で出くわす「いや。」ですけど。

皆さんもかなり正確に「否定」か「肯定」かを判断しているはずです。

 

その言葉が発せられた場面、発した人の表情、言葉の抑揚、ジェスチャーなどを考え合わせて判断しているでしょ。

それも、ほとんど瞬時に・・・

考えてみれば凄い能力ですよね。

 

まぁ、私は「鈍」の「感」なのでよく間違います。

 

で、この複合された要素の中から言葉の抑揚だけを取り上げます。

何故なら、宣長さんの「古事記解釈」に不可欠の要素だからです。

古事記は、漢字で書いてある文章です。

あて字なんですが、文章に変わりありません。

何故、文章である「古事記」解釈に言葉の抑揚が大事な要素となるのか。

もう、お分かりと思います。

 

はい、口伝だからです。

 

「古事記」は本来口伝だったから言葉の抑揚はとても大事な要素だったのですよ。

 

例えば、朗読をされる方々は、言葉に表情を持たせると言います。

言葉の「抑揚」と「間」による表現は、大切な要素でしょう。

もっとも、私は朗読会に行ったことなどありませんけど。

まずは・・・

 

言葉は、発声から始まった。

 

BJ!なんか悪いもんでも喰ったのか!

なに当たり前の事をバカみたいに堂々と書いている?

夏の暑さにやられたか!

なんてね。

思わないでください。

いたって真面目に書いてます。

本や雑誌で「文字」を見慣れてしまうと「言葉=文字」にも思えるのですが、違いますよね。

「言葉=声」が先にあったと言う事実を忘れがちになります。

 

少し面倒な説明をします。

宣長さんは、皇国言(みくにことば)で書かれた上代の詔勅(しょうちょく:天皇が公に意志を表示する文章)を宣命(せんみょう)と呼んでいるのですが、宣命とはもともと「命(みこと)を宣(のる)」と言う言葉で、声をもって伝えていたと考えています。

 

まぁ、文字が無い上代ですから当たり前なんですけどね。

ただね。

それをきちんと想像できるかと言うと難しいわけで、くどくなりますが、

宣命とは

 

「勅命(おほみこと)をうけ給はりて、宣聞(のりきか)する事をさしていへる目(な)にこそあれ、その文をさしていふ名ではない。」

 

実は、今はもう伝えられていませんが「宣命譜」という古書があったそうです。

これは、詔勅を伝える際の「読み上げ方指南書」みたいなもので、かなりやかましく取り決めがあったようです。

なにしろ

 

「神又人の聞きて、心にしめて感(かま)くべく、其詞に文(あや)をなして、美麗(うるわし)く作れるもの。」

 

であったと書いています。

百人一首の読み上げみたいなものでしょうか・・・・

詳しくないので想像ですが。

 

つまり上代の口伝には、声の強弱大小長短が決められていて、その旋律を守らなければならなかったと言うことでしょう。

無論、「古事記」も同様に声の形が決まっていました。

「声の形」って変な言い方ですけどね。

それにより、文字だけでは伝えられない「思い」の継続を図っているのでしょう。

 

さて、宣長さんは「古事記」を口伝として理解せよと言っています。

不完全な言葉だけではなく読み上げられる声の抑揚、間の取り方、そこまで目を向けなさいと説きます。

読み上げと間については、古い神社の祝詞などを参考とし、古語も底の底まで掘り下げてみよと。

 

そうすると何が見えてくるか。

無論、「古事記」からですけど。

上代の神や人の生活が見えてくると。

神を核とした「ゆたかでおおらか」な生活。

そこまで、古事記の世界に入りこめ。

いや、そこまでしないと分からない世界だと。

 

まぁ、「古事記に喰われろ」と言っているのです。

 

喰われた先に何があるか・・・・

答は、日本固有の道なんですけど。

 

次回で「流れ2」の終了です。

今回は、真面目過ぎて面白くない!

次回もそうなるかな。

 

ではまた。

 

なんか宣長さんが長くなりすぎて・・・

こんなことなら徂徠さんも引っ張ればよかったかな。

まぁ、面白くはないですけど。