グローバル人材。
本文でも書きますけど・・何?
何だと思ってます?
こんにちはBJです。
さて、どう思われました古事記からの「道」の定義。
受行うべき道なきをもって「道」とする。
老子や孔子のくどい定義より分かり易かった?
それとも、「なんじゃこりゃ。」の私と同じ?
ひょっとしてBJって「書いてない」ことがあるのでは?
本当は、ちゃんとした話があるのでは?
・・・ありません。
が、しかしここまで来てしまった「流れ2」を尻切れトンボで終わらせていいものか・・・
まだ、少しは説明できる事があるのでは・・
などと考え「くどい」と言われるのを覚悟のうえで書いてみます。
宣長さんが「こだわった」事についてです。
まずは、「言葉」について。
何回か書いています、言葉は簡単に扱えるものじゃない。
突き詰めて考えると「なにやら怪しいもの」になる。
ここで大切なのは、「文字」ではなく「言葉」であると言う事です。
母国語と言うのは、その国に住む人達の気の遠くなるような言葉のすり合わせから出来てきたものです。
山は山、海は海と言う「言葉」になるまでには、とても長い年月が、かかっています。
その言葉によって私達は、山と言えば山の風景を思うことが出来ています。
まさに言葉による物の出現です。
そりゃ、言魂なんて言い方は、もうしませんけど。
言わないからと言って無くなった訳ではないでしょう。
けれど・・・
こんなに大切な言葉と言うものが、いよいよ分からなくなって来ていると言う現実があります。
その代表は、カタカナ英語の乱用。
で、いい例が無いかと考えていましたら、新聞の記事が目に入りました。
「グローバル人材の育成が急務である。」と言う内容。
グローバル人材???
前に「グローバル」とは、単なる名詞でツマズカナイ方がいいと書きました。
書いた私が躓きました。
なんじゃこりゃ・・・
グローバル人材ってなに。
早速調べました。
グローバル人材とは、
日本人としてのアイデンティティや日本の文化に対する深い理解を前提として
*豊かな語学力・コミュニケーション能力
*主体性・積極性
*異文化理解の精神等を身に付けて様々な分野で活躍できる人。
いやはや驚きました。
「*印」だけを見るなら「あぁ、国連職員の人材育成ね。」などと気軽に考えたりするのですが、(それもまずいことは承知しています。)
・日本人としてのアイデンティティ。
・日本文化に対する深い理解。
が、前提となれば話は別です。
そんな人、私は見たことがありません。
どこにいらっしゃるのでしょうか・・・
前提として書かれているので、どこかに大量に生息されているものと思われますが。
グローバル人材!!
英語を使えるようになって国連職員になろう。
なんて言う、真面目な顔した「笑い話」かと思っておりました。
(他に何か別の職業が考えられるでしょうか?)
国連職員も狭き門になったものだと。
まぁ、おふざけはそのくらいにして、本当に引っかかった「日本人のアイデンティティ」について考えてみます。
アイデンティティとは?
調べました。
「自分が自分であること、さらに他者や社会から認められているという感覚。」
→自我同一性
「自分の存在を肯定できる事。」
→存在意義
うわっ・・・哲学的!!
日本人のアイデンティティと言うくらいですから「日本人」に関して自分の見方なり意見なり考え方なりを持っている人でしょう。
「日本人」って何?
そう言う質問にスラスラと答えることの出来る人でしょう。
私の身近にはいませんけど。
そのうえ、日本文化に対する深い理解ですもん。
能や歌舞伎や浄瑠璃に詳しく、且つ日本の戦争責任についても自分自身の意見を持ち堂々と語ることのできる人。
私の身の回りにはいませんけど。
途轍もない前提だと思いませんか?
「自分探し」とか言っている「おちゃらけたやつら」は沢山います、はい。
「かまってちゃん」とか「俺は凄いんだぞ妄想人間」とかね。
でも、この前提が求めている人材は・・・
まさに「国士」ですよ。
んなやついる訳ないでしょ。
で、終ってもいいのですが、新聞に「グローバル人材の育成」とか書いてあると、なんとなく読み過ごして分かったような気になっていませんか。
まさか「スーパー国士」(国士無双?)のことだとは思いませんよね。
なんとなく分かっているような気にさせる。
そんな、あやふやな性格を言葉は持っています。
騙されるでしょ。
ありゃ、説明が長すぎた、反省。
次回は、言葉の抑揚についてです。
もう少しお付き合いを願います。
ではまた。
いい気候になってきました。
野良猫(地域ねこ)達ものんびりしています。
猫も顔立ちがいいと得のようです。