映画とかで「実話にもとづく」なんてあるやつ。
たいがい最後はヘナヘナの説明で終わる。
そりゃそうだけど面白くはない。
こんにちはBJです。
最近、一番驚いた訃報。
ゴルバチョフさんの死亡記事でした。
驚いた理由は、
えっ!まだ生きてたんだ!
(失礼な私)
死に時を間違っちゃったね、ゴルビー。
拉致監禁から生死不明のまま消える。
改革者の最後って、闇に覆われた悲劇で幕だと思っていました。
生きていたんだ。
良かったのか、悪かったのか。
何かの罰でしょうか。
戦車に乗った「酔っ払いエリツィン」が、自連邦を無茶苦茶にして「酔っ払ったまま退場。」それを見せられていたんだ、正気のままで・・
何かの呪いでしょうか。
「酔っ払いエリツィン」から「独裁者プーチン」。
えぇ~!!!
全部、見ていたんだ。
死に時を外したよね、ゴルビー。
どんな気持ちで今のロシアの政策、いやその前にソ連の崩壊を見ていたんだろう。
地団駄を踏む。
臍(ほぞ)を噛む、いやいや血の涙を流す。
ぐらいは、あっただろうな。
「ソ連の崩壊を招いた張本人。」
そんなレッテル張られて悔しかったでしょうね。
張本人は別にいるのに、だけど言えない。
悶え死んじゃうよね。
えっ!張本人って誰、って?
民衆です。
見誤ったのは、自国民衆の爆発的な熱狂と期待感。
根拠が無いと言うよりは、手前勝手過ぎる期待感。
だって、ソ連は生まれ変わり「豊かな国」として世界に向き合うと大喜びしていたのです。
自分達がやらなければならないってのが、すっ飛んでいる。
自分達が主役だとは思ってない。
主役は、苦しいことも分かっているけど。それはいい。
だって、自分じゃない。
誰か他の人が主役で自分達を「豊かな国」に連れて行ってくれる。
アホな!
「民主的な社会主義」を目指すと言うスローガンだけが独り歩きします。
きっと政府が政策を出しながらソフトランディングしてくれるのだろう。
いつもどおり従えばいいんだ。
超現実主義者のゴルビーが、その期待を分かっていなかったはずはない。
だけど、それ以上のスピードと熱量で民衆が動き出してしまった。
その熱狂の連鎖と過大な期待。
ゴルビーをロマンチストと書いている記事がありました。
バカ言っちゃいけない。
彼の国で第一書記(最高権力者)に上り詰めるため、彼がどんな手段を用いたか。
シンパを集め、政敵を説得し、用意周到に準備し、これなら公開に踏み切れると判断した政策、考えたスローガン。
「ペレストロイカ(改革)」の断行と国際的な宣伝。
「グラスノスチ(情報公開)」なんて命がけでしょ。
超が付く現実主義の彼だからこそ、なし得たと思います。
ロマンチストの「ロ」の字もない。
旧保守派の巻き返しを狙った拉致。
この辺りまでの筋書きは、幾種類かの想定の中にあったと思います。
しかし「酔っ払い」の登場と馬鹿みたいに熱狂的に支持した民衆の存在。
それは無いな。
そんな筋書きは考えてないな。
民衆と言う怪物が、次にどんな動きをするのか。
そんなこと分かっていた政治家なんて何処にもいない。
これからも現れる訳が無い。
理性も知性も、おそらく動機さえも無い「民意」と言う怪物。
やっぱり喰われてしまった。
拉致監禁からの救出後は、政治家としての求心力を失い。
おそらく、ジタバタしたのでしょうけど。
「民意」は、若きプーチンを選んだ。
プーチンは「強いロシア」を標榜し、ソ連邦への回帰を夢見ています。
「民意」の望む方向をうまく捕まえたんですね。
こんなはずじゃなかった!
って、言う民意に乗った訳です。
怪物の背に乗った訳です。
ゴルビーが生きていた。
いや、生かされていた事情は「生贄(いけにえ)」としてでしょう。
急激な改革は、こんな悲惨的な状況を作ると言う証。
その生き証人がゴルビー。
悔しいだろうな。
ソフトランディングの筋書きは出来ていたろうに、時機を逸したばかりに・・・
甘んじて生きることに何が必要だったのだろう。
自分の望んだ「民主的な社会主義」の実現を見たいがためかしら。
いやせめて、その萌芽を見るまでは・・・
って、感じかな。
芽生えは、始まっていると思います。
ゴルビーが考えた「社会主義からの発展的前進」ではなく。
「民主主義世界からの社会主義化」です。
変な言い方ですけどね。
非常にいい例があります。
何かあれば、政府の援助に頼る国。
援助が無ければ、公然と怒り出す国民の国。
援助は、すべて税金と言う国のお金を使うのが当然の国。
不足分は、国債と言う借金をしてでも賄う国。
自助努力なんて言うと怒り出す国民の国。
日本です。
ゴルビーも日本の今を見て確信したかもしれませんね。
自分の考えは、間違っていなかったってね。
偉大な事をなした人の「死に時」の難しさ。
なんか、遅れれば遅れるほど「醜く」なったり「生贄」になったり。
いいことないよなぁ。
「大坂夏の陣」の後日談。
真田信繫(幸村)が、密かに生きているらしいと言う噂話を兄の信之が聞いたとき。
彼は、まったく取り合わなかったそうです。
「信繁ほどの男が、死に時を間違えるはずはない。」
そう言う場面が用意されている人は、ほんの一握りだろうな。
うらやましいと思うのは、私だけでしょうか。
ではまた。
本居宣長さん、私はとても苦しいのです。
本当に書いていいのでしょうか。
ガッカリされるのが、分かっていても。
う~ん・・・