何度も書いてきたけど、「男だったら苦しい時に笑え。」

時代が違うと言われようが、苦しい時は必ずくるから。

 

こんにちはBJです。

さて、真淵さんが目指した「古事記解釈」。

これは、弟子の宣長さんに継承されて「古事記伝」となります。

わざわざ「弟子の」と書いたのは、先に書いたように宣長さんは「弟子」と言う認識が乏しいと言うか、なんか真淵さんの「良いとこ取り」をしていたように思えるのです。

考えすぎでしょうか。

師匠である賀茂真淵さんは、いわゆる思想家です。

彼は、異国の文化に毒されている現状を憂い、日本国独自の「道」の思想を追い求めています。

 

「道」と言っても道路ではありません。

いや、お約束ですから。

 

異国の文化とは、いわゆる「唐物」と呼んでいた「儒教」「仏教」に代表される唐からの輸入文化になります。

それら唐物に浸食されない「日本古来の道」が必要であると国学の方々は考えます。

それで「古事記」を選んだわけです。

では、なぜ「日本書記」ではなく「古事記」なのか。

 

まず、日本書記の始まりの文章。

現代語訳で行きます。

「昔、まだ天と地が分かれておらず、陰陽の別もまだ生じていなかった時、」

 

はい、アウト!

 

えっ、何がアウトかって・・・

「陰陽」ですよ。

「陰陽」って、すでに唐物なわけです。

太極マークで唐物決定!

唐物が、いきなり始めから出てくるのです。

これは、アウト!

「国学の聖典」には、成り得ない。

 

だから「古事記」。

古事記の書き始めは・・・・

「天地(あめつち)が初めて現れ動き始めた時」

 

はい、OK!

 

古事記が、「聖典」に決定しました。

そこから、日本固有の「道」を導き出すと言う荒業。

これを真淵さんは目指して・・・

いや狙っていたのです。

だけど、古語の研究のため万葉集に嵌まり込み、時間が過ぎていくわけです。

いろんな弱音を宣長さんに吐いておられます。

 

「のこりのよはい、今いくばくもあらざれば」

*残りの人生が、少ないのよ。

「衰老は年々に増也。」

*老いの衰えは、年々ひどくなっていく。

「学事は昼夜筆のかはく間まく候へども、諸事埒明ぬものにて、何ほどの功も出来候らわず」

*昼夜を分かたず仕事をしても、なかなか埒が明かないし、何の功績も残せていない。

 

いろんな悔しさを秘めながら真淵さん他界します。

狂信者を作り出せなかった悲劇。

だって、思想って単独じゃ無理でしょ。

その思想を掲げて走り回る「狂信者」がいないとね。

「これだ。」って思う形を見つけて世に問うけど、狂信者が現れなければ世に埋もれます。

えっ!間違っていませんよ。

思想の成立は、狂信者が現れるかどうかです。

今の世の宗教やイデオロギーを考えてみてください。

マルクスもニーチェもキリストも仏陀も狂信者が駆け回らなければ時代に埋もれていたと思いますけど。

それほど、間違ってはいないでしょ。

 

閑話休題。

師匠の他界を受けて宣長さん。

 

「不堪哀惜」

*哀惜に堪(た)えられず。

と日記に記しています。

簡単すぎると思ってますでしょ。

宣長さんに師匠の死を伝えた同門の手紙があります。

 

「畢竟病根は万葉集にて、生涯此事に被終候」

*結局、病気の元は万葉集でした。生涯をかけてこれに取り組まれ逝去されました。

 

賀茂真淵、明和六年十月逝去。

ただただ万葉集の戦いに己を懸けた生涯でした。

本人は、どうか知れませんが、一途で美しい生きざまであったと思います。

振り回された家族なんかは別にしてです。

 

「畢竟病根は万葉集にて」

宣長さんもそう思っていたと思います。

それに、師匠の思いには、古事記に手が届かなかった無念もありますでしょうけど、けど、けど。

万葉集から古事記へは、真っすぐに行けないのでは。

と、宣長さん、思っていた節があります。

31文字で完成される和歌と、異様な神の物語で始まる「古事記」。

和歌の古語から、すんなり入れるとは思っていなかったのではと・・・

 

だから、真淵さんに入門した時から「古事記伝」の制作をどんどこ進めていたのでしょう。

怪物は、やはり怪物なんです。

 

ここまでくると「古事記伝」なんでしょうけど。

それを要約するには、私の知識が足りません。

2つほどエピソードを書いて「お茶を濁す」ことにしたいと思います。

それは、次回。

 

今回もあんまし面白くなかったですね。

反省。

ではまた。

 

人間の天敵ってウィルスなのかも知れませんね。

天敵って体のデカい捕食生物を考えちゃうけど。

それって空想の世界で、ウィルスが本命かも。

なんかスーパーマンの出番が無いよね。