土を耕し種をまく。

すべてはそれからです。

私?本物の土を耕して種をまいてます。

 

こんにちはBJです。

朱子学の流れですけど面白いので続けます。

何が面白いって、武士のサラリーマン化を促進するための

朱子学でしたでしょ。

でもね。

朱子学の尊王論は、黒船来航に至って徳川幕府に

 

牙をむく。

 

のです。

これは・・・家康さんも考えてなかったでしょうね。

前回、紹介した「山崎闇斎」さんの学派。

﨑門(きもん)学派の人達は、朱子学の名分論を強調します。

何かというと、幕府の権力は天皇により認められる、と言う

ことです。

あれれ・・・天皇が出てきちゃいました。

天皇こそが日本の王である。

尊王論。

始めのうち(前期徳川政権)は、それでよかったのですよ。

曲りなりにも天皇を擁護していたのですから。

あっためたミルクの上に出来る「うす~い膜」のような

尊王論だったのです。

でもね。

時代は下って。

黒船来ちゃったでしょ。

血気盛んな馬鹿どもが、異人なんかに国土を踏ませるな!

なんて国粋主義の極みに走るわけです。

攘夷論

これが曲者。

幕府は、オタオタして条約結んじゃうし・・・

 

何しとんじゃ、われ!!

 

てなもんです。

バカは手が付けられない。

そこに、尊王論が結びつく。

だいたい天皇こそが日本を代表する王ではないか。

幕府が弱腰なら天皇こそが担ぐべき神輿じゃー。

となります。

 

尊王攘夷。

 

ここにきて「朱子学」の「敬」の思想が突然変異します。

上下身分の差を前提として上司を敬う思想から、

「臣の道」とは天皇に使えることである・・・と。

ゲロゲロ

一気に天皇の臣下になっちゃうわけです。

脱藩なんか屁でもない。

弱腰幕府なんか、たたんじゃえ!!!

 

倒幕。

 

に、突っ走っちゃうわけです。

あれれ、あれれ家康さん、どうしましょう。

官学が当の幕府にたてついてきちゃいましたよ。

そして、私の嫌いな幕末の大量殺戮が始まります。

やだやだ。

これ、正義同士の戦いですから。

つまり、強い方が勝つ。

やだやだ。

 

しかし、朱子学派の息の長い事には感心します。

幕府創設期から幕末まで続くのですから。

仁斎先生の古義学や徂徠さんの古文辞学は、弟子によって

引き継がれはしますけど・・・・。

この微妙な個人的学派は、継続するのが難しいのです。

それに比べれば、朱子学は完成された学問ですから引き継ぐ

のは容易です。

そうですね。

仁斎先生や徂徠さんの学派は、哲学を引き継いだと仮定できます。

朱子学は、マニュアル(取扱い説明書)を引き継いでいったと

思ってください。

個人の哲学を引き継ぐと言うのは難しいものです。

その点、マニュアルは簡単に引き継げます。

 

だから、朱子学は継続していったと言えるでしょうね。

でも時代の流れにマニュアルの読み方が変わった。

と、いうことでしょうか。

まさか、倒幕の原点となる尊王思想が朱子学によるとは・・・

家康さん。

こんなところでしっぺ返しをくらっちゃったと言う訳です。

 

では、引き継ぎが難しい哲学派はどうなったのか。

予想はつくでしょうけど、次回。

 

ではまた。