我々、凡夫が作り出す「常識」と言う名の怪獣が

天才を殺しているのだろうか。

 

こんにちはBJです。

運命のいたずら。

すれ違い。

何とも言い難く、残念なのですが・・・・・

 

「いねむり徂徠」さんから「踊る仁斎」先生への手紙。

何故、返事が来なかったのか。

簡単で・・・・苦しい。

仁斎先生は病気で寝込んでいたのです。

手紙すら読めないような重体。

危篤状態・・・・かな。

 

傲慢で高飛車な徂徠さんが、おそらく初めてへりくだった

内容の手紙です。

それだけ、仁斎先生に惚れ込んでいたわけです。

徂徠さんにして見れば、恋文みたいなのもですから。

それなのに、仁斎先生、徂徠さんからの手紙を知らぬまま

 

他界。

 

徂徠さんは返事を待ちます。

ジリジリしていたでしょうね。

しかし、相手は「不帰の人」になっていました。

でもね。

いずれは、徂徠さんも知るわけですよ。

仁斎先生が何年の何月何日に他界したかをね。

 

早い時期に知っていた可能性もあります。

だって、ジリジリしている徂徠さんです。

仁斎先生がいる京都の情報を集めまくっていたと思います。

自分が送った手紙も読まれていないと思ったかも知れません。

そうだとすれば怒る必要もないわけで。

ではなんで激怒したのか。

・・・・手紙を

 

暴露された。

 

からです。

普通の人でも怒りますよ。

極めて個人的な手紙の暴露ですから。

それもかなり気位の高い徂徠さんが仁斎先生にだけ読んで

もらう物として書いた恋文みたいな手紙をです。

暴露したのは、仁斎先生亡き後を継いだ長男東涯。

徂徠さんに断ることもなく暴露します。

 

怒髪衝天。

 

ですよね。

深い愛情は、強烈な憎悪に転化します。

それから徂徠さんは、痛烈な古義学批判を展開します。

情け容赦のない攻撃。

これでもかっ!・・・・て感じ。

 

皮肉にも、この徹底的な仁斎非難によって「荻生徂徠」の名が

天下に知れ渡ることになります。

なんてこっだ!

どうなってんだ!

なんですけど、本当です。

 

あぁ、もし・・・・・・

仁斎先生が手紙を読んで返事を返していたら。

もし同時期の「豪傑」と「怪物」が会っていたら。

古学の発展が違ってきたかも知れません。

空しい想像ですけどね。

 

伊藤仁斎、享年79歳。

もうほんの少し元気でいたくれたら・・・・

残念です。

 

ただね。

徂徠さん、晩年になってからですけど。

仁斎先生批判について

「あれは、本心ではなかった。」

と反省していたようです。

しかし、仁斎批判で世に出たのですから複雑な心境

ですよね。

 

さて次は・・・・契沖坊主あたりからの流れかな。

いやいや、居眠り徂徠さんの弟子かな。

ちょっと考えます。

 

ではまた。