知識と言うものを徹底的に疑ったソクラテスだけど、

何故か神様は信じているのよね。

それが腑に落ちない。

 

こんにちはBJです。

偉人に「あだ名」を付けると、なんか親しみがわくと思い

ませんか。

思わないかな・・・

荻生徂徠ではなく「いねむり徂徠」とか、伊藤仁斎ではなく

「踊る仁斎」とか。

お気楽な感じで偉人に近づけると思っているのですが。

まぁ、あだ名にセンスが感じられないのは私も同じです。

自分で付けておきながら、ですけどね。

 

では、徂徠さん大発見の経緯を見ていきましょう。

前回書いた、素読の先生をしていた時です。

まずは、夏の日との記載があり、過酷な素読であったようです。

 

「始の程は、忘れをも咎め申候得共(もうしそうらえども)、

 毎日明六時より夜の四時迄之事にて・・云々」

まぁ、始めのうちは何とか頑張れたようですけど。

 

「後には疲れ果て、吟味之心もなくなり行、・・云々」

そうなりますわなぁ。

読む方は、ただ口に任せてだらだら読む。吟味方の方はと言うと

 

「只偶然と書物を詠め居申候。」

と言うことになる。

分かるなぁ・・辛いですよね、

気が付くとコックリコックリ強烈な眠気が来るのですよ。

何してんだか分からなくなる。

「詠め(ながめ)居申候(いもうしそうろう)。」ってとこが大事。

 

「先は紙を返せども、我等は紙を返さず、読人と吟味人と別々に成、

 本文計(ほんぶんばかり)を年月久敷詠暮し(ねんげつひさしく

 ながめくらし)申候。」

紙を返さずってのは、本のページをめくることです。

つまり、頭がボーっとして音読している生徒と吟味役の先生が残念にも

別のページを開いておるわけで、何のための素読か分からなくなって

きています。

 

「如此(このごとく)注をもはなれ、本文計(ほんぶんばかり)を、

見るともなく、読むともなく、うつらうつらと見居候内に」

いわゆる、「いねむり徂徠」さんの由来なのですが、この後がスゴイ!

怪物は、居眠りだけですまさないのであります。

 

「あそこ、ここに疑共出来いたし」

まったく、居眠りしてりゃいいのに。

論語とか原典(漢字ですけど)の言葉を、本人いわく

「うつらうつらと見居候内に」

これまでの注釈では説明できない、もしくは間違っていると言う「疑い」

が出てきたと言うのです。

 

オイオイ。

居眠りしてろよ。

荻生徂徠。

 

「これを種といたし、只今は経学は大形如此物と申事合点参候事に候。」

もう、徂徠さん。

これって一種のブレークスルーとも言える経験ですよね。

長年、読んできたはずの四書五経の言葉が、ボーっとした頭の中で突然

直覚されるわけです。

 

あれあれ・・・あれ、ちょっとこの言葉・・あれ?

 

ってな感じでしょうか。

徂徠さんは、この経験をもとに「古文辞学」を起こします。

仁斎先生を開祖とする「古学」の後継者ですよ。

ちなみに仁斎先生の起こした古学は、「古義学」と呼ばれています。

この系統については、また次回。

 

「いねむり徂徠」さんは、言葉の世界に分け入っていきます。

これはこれで大変なことをやった訳ですけど。

今回は、いねむりも怪物がすると役に立つと言うことで・・・・

 

しかし普通、気が付くだろうか。

うすらぼんやりコックリしながら。

まぁ、大発見ってのは、「長い助走期間の後に直覚される」とは思い

ますけどね。

いねむり・・なんか言葉としても面白い。

と言うことで、徂徠さんの大発見の巻でした。

 

ではまた。

コロナなんかに負けないように!