先駆者と言うのは「不遇」である。
しかし「不遇」を覚悟しておけばどうと言うこともない。
こんにちはBJです。
やっと出てきた徂徠さん。
真打登場ってところでしょうか。
忠臣蔵問答に決着をつけます。
「義は己を潔くするの道にして、法は天下の規矩(きく)なり、
礼を以て心を制し義を以て事を制す、」
*ここは前書きのように見えますが、「義」を私的なもの「法」を
公的なものとして区別しているところが徂徠さんの真骨頂です。
「今四十六士其主のために讎(あだ)を報ずるは、これ侍たるもの
の耻(はじ)を知るなり、己を潔くするの道にしてこの事は義なり」
*侍として本分を守ったことをほめています。
しかし・・・・
「と雖(いえど)も、畢竟(ひっきょう)は私の論なり」
*「義」ではあるけど、それは私的な論理を出ないと断じます。
「義」は、私的な理論であるとすれば「封建制」の情誼的行動を
切り捨てたことにもなります。
情でもって公の裁きはしないって事です。
この後、事件の経緯をつらつら書いて・・・
「公義の免許もなき騒動を企(くわだて)る事、法に於いて許さざる所也」
*そうなんです、この仇討ちは公義御免状が無いのです。
本来ならば、仇討ちではなく単なる殴り込み、私闘です。
内蔵助さんの「たかが喧嘩」と言うのもうなずけます。
「今四十六士の罪を決せしめ、侍の礼を以て切腹に処せらるるもの
ならば」
*徂徠さんの「やさしさ」が出てきます。
「侍の礼を以て切腹」・・・・・ここが泣かせる。
私闘であっても侍の礼で応えましょうと言うこと。
いいですねぇ。
ここで多少なりとも「情」を添えています。
「上杉家の願も空しからずして、尤(もっと)も公論と言ふべし」
*そうだそうだ、上杉家、唐突ですけど上野介さんの子供は上杉家の
当主です。上杉家のお殿様なんですよ、うまくやっておりますね。
この辺も憎まれる要素かな。
ですから、上杉家からは「さっさと始末しろ。」だの
「義士じゃない!」だの「やんなきゃオレがやる!」だの言って
きている訳です。
だって、親を殺されたわけですもんね。
「若(もし)私論を以て公論を害せば、此(これ)以後天下の法は
立つべからず。」
*見事な奉答書です。
情に流されず、かと言って法を杓子定規に振りかざした厳罰では
なく侍として面子を保った切腹を許す。
文句ないでしょう。
いきなりの大事件解決。
こんなところに徂徠さん。
そんな感じでしょ。
次回は、ちょっと面倒な話です。
あんまり楽しくないと思います。
期待しない方がいいでしょう。
ではまた。