「風さそふ花よりもなお我はまた春の名残をいかにとやせむ」

by浅野内匠頭

 

こんにちはBJです。

江戸期の大事件と言えば・・・

 

時は元禄15年12月14日、雪残る夜半に響く山鹿流陣太鼓。

ドーン!・・・・・・ドーン!

「おのおのがた、ご油断召さるな。」

大石内蔵助率いる旧赤穂藩士総勢47名が吉良邸に討ち入ります。

 

はい、映画や大河ドラマなんかで有名な「忠臣蔵」であります。

始まりは「松の廊下」殿中の刃傷沙汰。

なんで浅野さんが吉良さんに切りつけたか・・・・いまだ分からず。

いろんな説がありますが、「賄賂が足らず意地悪された。」と言う説が

幅を利かせています。

そっちの方が、映画なんかになりやすいもんね。

おかげで吉良さんは、国民的悪役になっております。

 

ところで、山鹿流陣太鼓って気になりませんか。

そうです。

山鹿素行さんなんですよ。

あの儒教の早熟児。

この方、赤穂に一時期住んでいまして「配所残筆」という自伝を書いて

おります。

やっぱり、いたんですね。

まぁ、それはおいといて。

 

この討ち入りですが、見事本懐を遂げた後が問題なんです。

吉良さんの首を取ったら、普通切腹して果てるのです。

吉良邸で首を取った後とか、泉岳寺で内匠頭霊前報告した後とか。

47士は、ほとんどが上士ですから分かっていたはずです。

上士ってサムライ管理職みたいなもんです。

でも、切腹しない。

あれれ・・・

 

幕府の沙汰を待つ!

 

ゲゲ!

喧嘩両成敗は、天下の御法です。

でも、浅野内匠頭と吉良上野介の時は、片手落ちだよね。

内匠頭は即日切腹。

吉良さんは、大事に養生しなさいだもん。

 

さあ、今回の大喧嘩どんな沙汰を出すのかい!

 

内蔵助さんは、幕府に問うのです。

誰も切腹しないと言う無言の圧力によって。

死を賭した問いかけです。

まかり間違えば「斬首」「さらし首」強盗や山賊と変わらない刑

かもしれない。

武門の恥どころか末代までの恥すら覚悟の上で問います。

 

凄味、ありありです。

 

ちなみに「喧嘩」って言葉は、内蔵助さん自身が使っています。

「たかが喧嘩にすぎぬ。」

・・って浅野内匠頭家来口上で明言してます。

 

47士は、誰も死なない。

すいません、46士ですね。

この時は、すでに一人抜けてます。

静かに幕府の沙汰を待っている・・・・

 

もう幕府も世間も議論百出!

仇討ちじゃない押し込みだ!

忠義の士だ。武士の誇りだ!

単なる名誉心のためだ。

サムライの鏡だ!

云々。

 

翌年の2月4日までもつれ込みます。

幕府は困り果てておりました。

時の将軍は、4代目犬公方・徳川綱吉さん。

側近に「柳沢吉保」さんがおります。

そして柳沢さんの懐刀

 

「居眠り徂徠」登場。

 

やっと出てきたわけです、荻生徂徠さん。

長い前置きでしたけど・・・すいません。

忠臣蔵は、燃えるのですよ。

どうしても。

で、出てきたところで次回に続きます。

 

「忠臣蔵」またやんないかな。

大好きです。

 

ではまた。