雨の日の楽しみ。

プラプラ歩いて濡れること。

 

こんにちはBJです。

仁斎先生の第三弾です。

「なんで豪傑か。」

これは、簡単に言うと世の中の説明書をまったく信用せず

自分の感性と研究だけを信じて古典を読んだからです。

これね、当時は十五六歳で論語の師匠になるような早熟児もおったわけで

・・・・山鹿素行さんですけど。

 

だって、読む本は限られていて、そのうえ読み方にも定石があるわけですよ。

もっぱら朱子学ですけど、官学なので。

ところが、仁斎先生、朱子学を否定。

 

びっくりするような早熟児が出てくるような時代に「50年」もかけて

論語と孟子の独自注釈を考えた人なんです。

もうそれだけで

 

豪傑!

 

古典(論語と孟子)の独自解釈を突き進めて完了した。

完了したってことが驚きなんですけど。

では、これのどこが凄いのか。

 

だって中国の古典です、漢字ばっかりの。

どうやったのかしら。

と思うでしょ。

 

なにしろ仁斎先生、論語と孟子を熟読三昧。

ただ読むだけではいけません。

「之を口にして絶たず、之を手にして置かず」

で、なければならない。

もう、ただただ延々と原文を読むのです。

それを長年続けていれば、孔子や孟子が目の前に現れてくる。

「その謦咳(けいがい)を承(う)くるが如く、その肺腑を見るが如く」

なるのです。

ここまでくるとちょっと怖い。

そんな理解の極みに来たら、それこそ

「手の舞、足の踏むところを知らず。」

と言う境地に行くのですよってね、仁斎先生書いてます。

手の舞、足の踏むところを知らずって

 

踊る仁斎でしょ。

 

これが「踊る仁斎」と言うあだ名の由来です。

まぁ、私が勝手に付けたのですけど。

この告白、パッと見、狂信者みたいですが、無上の喜びと解釈して下さい。

凄いですよね、学問をする動機が無上の喜びに起因しているって。

ちょっと考えられない。

学ぶって苦しいものだと思っていましたから。

 

とまれ、仁斎先生をね「豪傑」って私が言ったのではありませんよ。

居眠り徂徠さんが言ったのです。

仁斎先生に出した手紙に書いています。

 

「ああ、茫茫たる海内、豪傑幾何ぞ、一に心に当るなし、而して独り先生にむかう。」

 

あの高慢で高飛車な荻生徂徠さんがね・・・感無量。

 

で仁斎先生の話は一時完了。

次は、居眠り徂徠さんかな。

真面目に書くと、とんでもないことになるので不真面目に書きます。

江戸期の皆さんが知っている事件も登場します。

ご期待あれ。

 

って、誰も期待していないだろうな。

ではまた。