幸せって、明日の事を何も思いわずらうことなく眠りにつく一瞬。

・・・・かもしれないと昨夜寝てから思った。

 

こんにちはBJです。

はい、大雨です。

なんか日本列島を抱き込むような雨雲ですよね。

うんざりします。

はい、DVD借りてきました。

「ゲームオブスローンズ」最後の3巻。

はい、まだ見ていません。

見たら没頭しますのでブログを書く余裕はありません。

 

あれですよ、あれ!

わざと楽しみを先延ばしにして、ささやかな快楽を得る。

うふふ。

なので、ちょっと面白い話を書いておきます。

仁斎先生の「こぼれ話」みたいなもの。

 

若かりし頃の仁斎先生は、朱子学にもの足りなさを感じたわけですが。

でも、朱子学になにが足りないのか分からないのです。

それで、陽明学とか仏老の道を調べたり迷いに迷って禅の白骨観に至ります。

まぁ、若い頃ですから迷うのはしょうがない。

さて、禅の「白骨観」を習得しようとしますが。

この人が凄いのは、とことんやっちゃうことです。

白骨の観(はっこつのかん)とも呼ばれる禅の修行とは、静座して心を練ること。

工夫に工夫を重ねて心を練ってゆけば、その身・・・・

 

「皮肉ことごとく脱露してただ白骨ばかりおるようにみゆる。」

 

だけでなく、自分と対話する相手も白骨に見えてきて・・・・ついには

 

「生命、山、川すべてが虚ろで、皆、幻のように思われる。」

 

境地に行き着くのです。

実際そう見えたと書いています。

これで修業も終わりと仁斎さんが思ったら「禅僧 仁斎」が生まれたわけですが。

そうは、ならない。

 

ここら辺からが、私の好きな仁斎先生になっていくので。

なぜ、そんな風に見えてきたのか・・・と考えるわけです。

現代の言葉で書くと

 

「静座ばっかりして、白骨観を得よう得ようと強く思い願っていればさ。

 そりゃ見えるよ。

 これは、静座と言う型と心の欲求の到達点で別に悟りでも何でもない。」

 

これがスゴイ。

徹底して経験する凄さと、その経験にさえ疑問を持つ凄さ。

その上で自分なりの答えを出す。

これには、かなわないな・・・・・っと。

 

酒を飲めば酒に酔う・・・・それと同じことだ。

・・ってね。

 

ついでに仏者にも文句をつけます。

「(白骨の観は)天地の実理にあらず、仏者の人倫をすて、日用に、はなるる、

 皆この、ことわりよりこれり、もっともと思いはべり。」

実体験を基にした論証です。

いやはや、すごい。

もっとすごい事を言った人もいます。

 

地獄とか極楽とか不要のものを考えだしておいて、

つらつら考えるに、さようなものもなしと悟る。

それじゃ、ただの人に戻っただけだろ。

ただの人ならいいけど、迷いから覚めたと自慢する。

バカじゃないの。

 

蕃山さんの言葉です。

「悟道者の病」とまで言っています。

 

私達も変な「白骨の観」に囚われていないか、考えてみる必要があります。

常識とは、うつろい易いものですから。

まことしやかな主義主張とか、はやりのスローガンとか。

一度は疑うことも必要でしょう。

 

さて、次回は仁斎先生について書きます。

主題は「愛」です。

う~ん。

書いてるこっちが恥ずかしい。

でも「愛」なんです。

 

ではまた。

あっ!書く間隔はあきますよ、なにしろファイナル3巻ですから。