貴方に提示される仕事、それが今の貴方に対する評価です。

自分で自分を評価しないように。

 

こんにちはBJです。

政子様達は打って出ます。

そうです攻撃に決定しました。

関東武士団は野戦が得意と言われていますし、関東にこもって

戦うとなれば朝廷側の西国武士団が大挙してやってきますしね。

慎重論はあったみたいで「箱根あたりで」とかね。

でも最終的に政子様が決定します。

 

打って出る!

 

すげー!

もうやるしかないのです。

政子様の腹のくくり方がすごいのです。

「鎌倉の威力を見せてやれ!いてこませー!」的な攻撃決断。

やるからには、すぐ進軍じゃーてなもんです。

東海道、東山道、北陸道の3道から京を目指すことになります。

 

賊軍に武士が集まるのか。

朝廷側は、かなり楽観していたようで・・・・・

だって義時討伐の院宣(いんぜん)を上皇が出している訳で「賊軍討伐」と言う

大義名分の威力を信じていたのです。

このとき上皇は「後鳥羽上皇」さんなんですけどね。

「鎌倉側は1000人も集まらないんじゃないの。」との憶測。

鎌倉側は朝敵ですから、進んで朝敵に味方するやつはおらんでしょうと

高をくくっておったのです。

確かに急な進軍決定であったため東海道軍に至っては、最初に出発でき

たのは18騎でした。

 

たった18騎!

朝廷側は1万8000騎あまり。

ただね。

朝廷側は、鎌倉賊軍が打って出るとは思っていなかったのです。

ビックリですよ。

賊軍認定で恐れおののいて鎌倉でジタバタしていると思っていた

のですから。

 

荘園の番犬ぐらいにしか思ってなかった武士集団(鎌倉幕府)が、

飼い主に牙をむくのです。

朝廷側は、それでも鎌倉軍に離反者がでると思ってました。

しかし、腹をくくった政子様に従う東国武士団は燃え上がっていた

わけです。

鎌倉賊軍は、道を進むにしたがって増えていきます。

ドンドン、ドンドン増えるのです。

 

やっぱ武士の権利を守ってくれるのは鎌倉だよね、って感じで。

なんと、3道合わせて19万騎!

19万騎になっちゃうのですよ。

「1万8千 対 19万」

東海道だけでも10万騎。

勝負にならないのですよ。

これで初めて朝廷側は気づきます。

武士って子飼いの番犬じゃないんだって。

 

怪物だったんだ!

 

朝廷側、敗北。

上皇達は、流罪。

朝廷は、鎌倉幕府に頭を下げます。

日本の権力が、朝廷から幕府に移った瞬間です。

政子様は、日本の権力改革を断行した方だったんですね。

 

すげー!!!!

朝廷は残しても権力は幕府に・・・

その後の日本のスタンダードモデルになっていきます。

 

ひょっとすると、これは日本最大の革命だったのではないでしょうか。

武力による権力移行。

朝廷政治から武家政治へ。

それも革命は、武家側の圧倒的勝利だったのですよ。

政子様の決断は、日本の政治体制を武力革命で変えたのです。

 

何と言う女性だ!

 

すっげー!!!!!!

わたくし北条政子様にぞっこんです。

 

ではまた。