モスバーガーでは、テリヤキだよ!と人から聞いて20数年たちますが。
いまだにモスではテリヤキです。
ほとんど信仰に近いものがあります。
こんにちはBJです。
武士ってのは戦う人だったのです。
当たり前ですけど。
でも、当たり前って言いながら理解しているのでしょうか。
難しいと思います。
源平のころは、華々しい一騎打ちだったのが、戦国時代は集団戦です。
もうゴチャゴチャなわけです。
目の色変えて領土目当てに殺し合いをしていたのです。
この時期は、強い者、頼もしい者、冷酷でも力のある者が正義でした。
だって、優しくても弱い者についたら死んじゃう訳ですから。
だから、手下が弱い主人を裏切るなんて当然のこと。
生死がかかった主従の契りです。
今の主人がだめなら、もっと強い主人に乗り換える。
この主人こそはと思えば死もいとわない。
苛烈な人生です。
そんな人達が、平和になったぞーって簡単に変わるわけがない。
武士と言うアイデンティティーをどこに求めていけばいいのか。
農業や工業を行わない非生産者であり人殺しが家業だったのです。
人殺しが家業ですよ!
それに、幕府とか藩とかの役職って全員分無いし。
平和になったら百姓に帰れって言われても土地ないし。
あまっちゃうんですよね、武士が多すぎて。
だいたい、あまった人間は悪い事を考えるのです。
そうすると為政者は困るのです。
この場合、徳川さん。
武士の内面を変えることが必要になるのです。
槍一本でのし上がり国主となる野望は・・・・ダメでしょ。
取ったもの勝ちもダメ!
そこで、平和な時代の武士に対する動機付けが必要になりました。
仏教は、家康さん三河一向一揆で懲りていますので別のもの。
でも全否定は出来ないので「禅宗」中心。
禅宗って「世の中まぼろし」の仮宅思想で「宇宙の真如に参加する」のですよ
・・・って、気宇壮大に煙にまく家康さんです。
それと、実質的に武士がこの世で活動する動機付けを「朱子学」に求めます。
武士は「志(こころざし)」に生きるものだってね。
志ってのは「世のためにのみ命を使いなさい。」ってことで、自分の欲を抑え
込めってことが大事なんです。
家康さん、大変苦心されたわけです。
武士を「欲望のかたまり」から「志の人」へ「潔さ(いさぎよさ)」と言うオマケも
つけて人格変貌に臨んだのですよ。
なんで「朱子学」か?
朱子学って完成された学問なんです。
中でも「上下定分の理(上下の身分関係を肯定する。)」なんて、封建社会に
適合しまくりするわけです。
しかしながら完成されているから発展もないわけで。
そこを私の好きな豪傑達は嫌がるのですけどね。
武士は、禅宗と朱子学により飼いならされていきます。
なんかサラリーマンみたいになっていくのです。
あぁサラリーマン・・・・悲哀の代名詞。
やっぱ、こっちがいいな。
ではまた。