今日、長崎の従兄夫婦は長崎へ、鳥取のじいさんばあさんは身を寄せている娘夫婦の住む岩国(山口)へ帰ってしまい、我が家もすっかりいつも通りの日常に戻りました。
楽しい時間というのはあっという間なものでして、親戚が帰ってしまうと寂しいものですね……。
まぁ、それが毎年繰り返される(繰り返してきた)年末年始シーズンの風景ですし、祭りは必ず終わるもの。
また明日から私もリハビリに通所ですから、まぁ、今やるべきを事を“適当”にこなしていきますよ。
ちなみに私は自分のために“頑張る”“努力する”というのは昔から好かない(ガラじゃない)。
何故ならそういう事をめんどくさがる私がそういった大層立派な言葉を軽々しく口にする資格はない人間だと考えているため、“頑張る”“努力する”とは敢えて表明しません。
“適当”=“いい加減”“雑”と捉える人がいますが、その時々の状況や情勢を見極めて思考・行動を当てはめていくことは(ネガティブな意味での)いい加減や雑とは言いませんし、それが本来の意味の“適当”だと思っています。
でも、それ以上に大事なのは頑張ること、努力することが目的となってそればかりに囚われ、本来の目的を見失ったり(所謂“手段の目的化”)、はやる気持ちばかりが枷となって負担となり自分を潰してしまうのでは意味がないため、そういう時は一旦“サボる”こと。
人間、どこかでガス抜きとしてサボらないと息が詰まりし、長続きはしません。
だから、私は何か一つのことを続ける時は頑張る、努力する以上にこの“サボる”ということを大事にしています。
それも適当な(合理的な理由からの)判断からです。
私は私自身の性格(怠け質で持久力に乏しい気質)は他人よりは理解しているつもりですから、そんな自分の頭と身体と上手く付き合っていくコツか「適当」なんですね。
それを意識しながら明日からまた“適当”にやっていきますよ、私は。