
久し振りの写真ネタだからいつもなら撮った内容を載せるところですが、完全にプライベイトな写真&写っている人にネガとプリントを渡すつもりで撮影したため、今回は非公開。
具体的な内容は避けますが、植えていたサツマイモ畑(※)に芋掘りに来ていた親戚の親子の芋掘りを楽しむ様子をパシャリ。
※実は身体が不自由になってからしばらくの後、農地を貸している知人の協力を得て畑の耕作と水やりを知人が、苗となる蔓は私が毎年ビニールハウスで育てていた自前のサツマイモの蔓を植える作業と草むしりは杖を突きながらリハビリがてらに地道に行っていて、定期的に畑の様子は見に来ていた。
私ゃこんな身体ですから芋掘りの手伝いは出来ないため、もっぱら記録係。
半身が麻痺ってても予めフィルムがセットされた写ルンですなら片手でも何とかフィルムを巻き上げ、シャッターを押せるため、重宝しています。
なお、今回は小さな子供の成長記録、親子の思い出に残るものなので、現像はフジカラー純正、プリントも指紋が付きにくくてガラス面にも張り付きにくい、そして紙質も丈夫なグレードの高い仕上げを頼んでいるため、代金の請求額を見るのが怖かった(苦笑)のですが、私が子供の頃に親戚してもらったことと同じくらいのことは出来る限りしてやりたいし、デジタルという極めて脆弱な記録媒体でしか記録を残せない今の子供たちは本当に不憫だと思うため、写ルンですみたいな簡易なカメラでもいいからネガという形で確実に記録を残してやりたいという親心ならぬ“親戚のおっさん心”があるため、この際代金はケチってられません。
独り身を通す覚悟を括っている(というか諦めを決め込んでいる)オイラにとって、生涯を通じて残せるものは“写真”だけだし、人の生涯や人生の節目、出来事に立ち会って写真を撮り、残し、記録を次の代に託すことが“自分の生きた証”だと最近は強く思うようになり、それは単なる気休めで無駄な足掻き、独り善がりの自己満だとしても、オレにとっては至って大真面目な話。
たとえば、私が十数年くらい先の未来に死んで、それから更に年数が経って私が撮った写真を親戚の誰かが見つけ、法事などで親戚が集まったという設定(←妙にリアルでありそうな具体的な設定w)で──
「そういや、やたら写真好きのキっモい親戚のオッサンがいたよな?w」
「結婚もしないで写真がどうとか、記録がどうとかで鼻息荒くして熱く語ってたあのおじさんかwww」
「そうそう!ガキの頃に“ふいるむかめら”とかいう液晶画面で写真が確認出来ない恐ろしくアンティークなカメラでオレ、写真撮られてたwあれなんなんだろうねwww」
「ちょっと頭の変な昭和気質な人だったけど、この“ねがふぃるむ”とかいう透明のビニールみたいシートを光にかざすとオレが反転して写ってるとか何か変な気分だけど、ちょっとレアだよな?w」
──みたいな感じでもいいから、「私の存在を記憶の片隅にでも何となく覚えててくれたら…」──なんてことを切に願う南部廣洲です。