この通りに面した桜並木は今から68年前の原爆で被爆した桜(と、その株分けした子孫)。
今でこそ原爆で被災した面影は微塵も感じられないですが、原爆投下からわずか約8ヶ月後に焦げた枝から小さな蕾が出てまばらながらも花を咲かせたソメイヨシノを見た生き残った市民たちは亡くなった家族や友人が桜の花となって自分たちを勇気付けられてくれていると捉え、焼け野原となった広島の復興のために並ならぬ苦労と努力を重ね、現在の中四国最大の都市の一つとして復興出来たのも、被爆桜の逞しい姿があったからなのかもしれません。
今でもこうして花を咲かせる被爆桜のソメイヨシノは原爆で犠牲になった被爆者たちが桜の花の一つ一つとなり、平和な時代が訪れて見事に復興した広島を暖かく見守ってくれているような気がしなくもなく、被爆桜の並木道を歩いていて安らかな気持ちになるのはそのせいなのかもしれない。
桜の花の命は人間と同じように儚いものだが、こうして毎年春には必ず花を咲かせてくれる桜はまるで終わらないダ・カーポ(終わりから初めに戻る)のようにすら感じられる。
そして人間もまた、時代は変われどこうして脈々と命を繋ぎ、世代交代しながらダ・カーポを繰り返す。
この今ある平和を二度と壊さないために、自分たちに一体何が出来るのか、改めて考えさせられる被爆桜のエピソードです。
Android携帯からの投稿

