(臨時営業)河口慧海著「チベット旅行記」
2013年5月3日(金) 河口慧海の「チベット旅行記」が滅法面白い(https://www.aozora.gr.jp/cards/001404/files/49966_44769.html)。 これは今から100年以上前に出版された作品で(当初の題名は「西蔵旅行記」)、例のごとくKindleで読める無料書籍のひとつである。秘かな人気があるらしく、こうした古い時代の、内容も地味な作品にしては、日本のAmazonにおける電子書籍売上では上位に入っている(先ほど確認した時には無料書籍中32位→https://www.amazon.co.jp/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E6%97%85%E8%A1%8C%E8%A8%98-%E6%B2%B3%E5%8F%A3-%E6%85%A7%E6%B5%B7-ebook/dp/B009MDR3GA/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E6%97%85%E8%A1%8C%E8%A8%98&qid=1565930114&s=gateway&sr=8-1)。 元本の講談社学術文庫版全5巻を購入すれば4,000円以上するものが(白水社のUBooks版2巻でも2,000円弱)無料で読めるのも、私のようなケチには嬉しいかぎりである。そもそもKindleでダウンロードできることを知らなければ、私などが一生手に取ることのなかった類いの本であることは間違いなく、その意味でも読む機会を得られただけでもありがたいと言わざるをえない。 題名から察せられるように、これは明治30年(1897年)に、漢訳の仏典の真正さに疑問を覚えた禅宗(黄檗宗)の若き僧侶・河口慧海(以下、「慧海」)が梵語で書かれた経文を求め、チベットを目指して日本を出国、チベット語の修得や幾度死にかけたか分らぬような数々の艱難辛苦を克服し、ようやく約3年後に厳しい鎖国体制にあったチベットに潜入、大学でチベット仏教を学び(かつ、付け焼刃の怪しげな知識による医術を施して有名になり、法王に謁見したり侍従医に推挙されたりするなど、どこまで本当なのか大法螺なのか分らない経験を積みながら)、約6年後にふたたび日本に戻るまでの記録である。 旅の目的こそ至って真面目ではあるものの、この旅行記、特に最初の3分の1ほどを占めるチベット潜入までの記録はまさに波乱万丈、危難に次ぐ危難の連続で、旅行記というよりも冒険譚と呼んでもいいほどである。ヒマラヤ山中において次々と襲いくる厳しい自然や病、人間を殺すことなど少しも厭わない盗賊との駆け引きなどが、まさに「巻を措く能わず」という表現が適切なほど、ひっきりなしに描きだされる。 ただでさえ当時のチベットは完全な鎖国体制を敷いて入出国を厳しく管理し、とりわけ英国人などの外国人や、彼らを少しでも幇助・支援した人間には厳罰をもって対しており、たとえ僧侶であろうとチベット国内に入るには決死の覚悟が必要だったようである。実際この旅行記の最初の方では、慧海がチベット語を習ったサラットなる人物によって語られる、かつて彼がチベットに入国した際に仏教を学んださる高徳の師が、自分のために死刑になったことの経緯が紹介されてもいる。 この師というのはチベット第二の法王パンチェン・ラマの教師をしていた人の弟子(のさらに一人、とややこしいのだが)であったセンチェン・ドルジェチャン(大獅子金剛宝)で、チベットでの修行を終えてインドに戻ったサラットが、実は「英領インド政府の命令でチベットの国情を取調べに来」ていた密偵だったことが判ると、サラットに旅行券を与えたり旅宿を提供したりした者などと共に罪に問われ、「外国の国事探偵をその寺に住せしめてチベットの密事を漏洩したるが故に」、死刑を宣告される。 当時のチベットにおける死刑は、腰に石をくくり付けて罪人を大河に投げ込む「水刑」で、この尊者は幾度か川に投げ入れられてもなかなか死なず、幾度かの試みの後、刑の執行をつかさどる役人も川に沈めるのを躊躇し始めたほどだったが、「汝らは決して我が死を歎くに及ばぬ。(中略)決して汝らが我を殺すのでない。我は死後チベット仏教のいよいよ栄えんことを希望するのみである。早く水中に沈めてくれるように」と言い、かのギリシャの哲学者ソクラテスの如く、理不尽とも言える極刑を従容として受け入れ、ついに息絶えるのである。その死体は解かれて(切り離して、の謂か?)、「手は手、足は足で水に流してしまった」という。 この挿話はおそらく仏教徒向けの殉教譚として美化・潤色されたものには違いないが、しかし当時チベットに潜入することが決して容易なことではなかったことをある程度は伝えているに違いない。このため慧海はチベット当局のみならず、当局に通知して報奨金を得ようとする密告者の存在をも恐れ、自身が日本人であることを隠すために中国人僧侶だと偽って旅を続けるのだが、漢訳の仏典などを読みこなしていたとは言え、どこまでこの嘘が周囲の人間に通じていたのかは定かではない(実際、幾度となく果して本当に中国僧なのかと疑われたことが記載されている)。 100年前の著作であることもあって、この旅行記では当今のような「政治的公正さ(political correctness)」はまったくと言っていいほど顧慮されておらず、むしろチベットに潜入するまでの冒険譚がまるで古いハリウッド映画を見るかのように娯楽的なのは、それがまさしく日本という「文明社会」から来た智者(僧侶)が、盗みはもちろん人を殺すことすら厭わないような悪党が跳梁跋扈するチベットという「未開の地」に勇猛果敢に潜入し、標高4,000メートルを超える雪山での決死行をはじめとする、険しく苛酷な自然や幾多の危険の真っ只中に一人で踏み込んでいくという伝統的な(従って政治的な公正さなどとは無縁な)冒険譚の典型を踏んでいるからだと言うことが出来るだろう。 だからこの本に記載されたことをそのまま鵜呑みにするなら、チベットに生きる人々は誰しも「文明社会」から見れば不潔かつ不道徳な人間ばかりであるかのように思いかねない(★)。如何に世俗の凡夫から程遠い高潔有徳の僧侶の視点からであるとしても、現代の私などからすればさすがに余りに差別的かつ偏見に満ちた見方ではあるまいかと思える記述が多々あるのだが(しかもそうした見方を助長しかねない多夫一妻制やら鳥葬やらといったチベット独特の風習が揃いに揃ってもいる)、しかしそうした少しも飾ることのない率直な文章が持ちうる「リアルさ」が随所に見られることも確かで、ここに語られていることをかなり差し引いて読むことに努めるならば、チベットの人々に限らない、言わば「人間存在」なるものの生(なま)の姿の一端がそこに捉えられているのだと考えることも出来るだろう。 次から次へと慧海を襲う冒険・危難の連続に、果してこれが実際にあった話なのか、かなりの誇張や創作が混じったものなのではないのかと思うことも屡々で、この作品が発表された当時からそうした疑いを抱いた人は少くなかったようである。しかし仮にこれが慧海の創作であるとするなら、むしろ人はそこに凡百の小説家などが及ばないような卓越した作家的想像力や創作技術を認めざるをえないだろう。多少の誇張や脚色はあるに違いないものの、やはり事実は小説よりも奇なり、なのである。 しかも僧侶の著作とは言え説教じみた堅苦しさや難解さはほとんどなく、むしろその饒舌なまでの独特な語り口の魅力によって、この長い旅行記を(後半はさすがにだれてきてページを端折りたくなるとは言え)さほど飽きることなく通読せしめるのは、やはり著者・慧海の優れた観察眼や広範な知識による文章力とでもいうものによるところが大きい。 惜しむらくは、僧侶という職業(?)の性質上、「未開」の衆生に対する優越意識や説教臭が時に鼻につくこと、そして肉や酒などを一切口にしないだけでなく(極めて禁欲的な慧海は一日に一度、午前中に「麦焦がし」をバターでこねたものを食べるだけで、どんなに飢えた状態にあっても正午を過ぎるとなにも口に入れようとはしない)、若い女性からの果敢な誘惑にも少しもぐらつくことなく、頑としてその誘いを撥ね付けるような潔癖さから(ただし時として女性の美醜に関する記述が見られることから、全く無関心だったとは言えないようである。なによりも、慧海に言い寄った女性は余り「美人」ではなかったようなのだが…)、この冒険譚には007シリーズのような性や飲食に関する薀蓄やワクワク・ドキドキ感を期待することは出来ない。しかしこうした不満はやはり余りにも望み過ぎというものであり、100年以上たった今読んでもこの旅行記は充分に面白いのである。 ご愛嬌なのは、かくも強く高潔な意思を持つ無私無欲の僧侶・慧海といえども、自身の仏教思想やチベットの文法、生半可なはずの医術の知識などに対する大いなる自信(その反動としての、半知半解な者に対するあからさまな侮蔑)と、なによりも自作の俳句を披露したいという自己顕示欲(?)からは決して自由になれなかったことである。 従ってこの旅行記を読む読者は、血沸き肉躍る(とまでは言わないが)ような冒険譚の合間合間で、お世辞に裳巧みとは言えない慧海の俳句に頻繁に付き合わざるをえない。仏教の知識に凝り固まった冷徹無比な木石漢とは違う慧海のこうした一面は、この著作・著者にある種の人間臭さをもたらしており、(★以下に記載した「政治的」欠点にもかかわらず)、この長いながい旅行記を読みながら、読者はこのなかで語られる数々の冒険やチベットの習俗・風習などだけでなく、著者・慧海の人間的魅力にもいつしか惹かれていることに気付くに違いない。★以下はその幾つかの例。 「(前略)自分の手について居る死骸の肉や脳味噌が麦焦しの粉と一緒になってしまうけれども平気で食って居る。どうも驚かざるを得ないです。あまり遣り方が残酷でもあり不潔ですから『そんな不潔な事をせずに手を一度(いっぺん)洗ったらどうか』と私がいいましたら『そんな気の弱いことで坊主の役目が勤まるものか』とこういう挨拶。で『実はこれがうまいのだ。汚いなんて嫌わずにこうして食って遣れば仏も大いに悦ぶのだ』といってちっとも意に介しない。いかにもチベットという国は昔は羅苦叉鬼(ラクシャキ)の住家で人の肉を喰った国人であって、今の人民もその子孫であるということですが、成程羅苦叉鬼の子孫たるに愧はじないところの人類であると思って実に驚いたです。」 「(前略)チベット人は決して信用することが出来ない。ごく知合の中で互いに世間体を飾って居る間は正直を守って居るですけれども、社会の制裁を離れたいわゆる世間から飛び離れた所に出て来た時分にはなかなか狡猾で、どんな恥かしい事でも構わずにやり遂げるという風がございますから容易に油断はなりません。」 しかし一方、日本人であるという正体が徐々に露顕しはじめ、このままでは危ないという状況のなか、これまでも慧海があれこれ世話になってきた前大蔵大臣(チベット人)に出国すべきかどうかという相談を持ちかけた際、日本人である自分と関わった人間は厳しく断罪されるかも知れないと言う慧海の言葉に対し、この前大臣はこう口にするのである。 「そういう立派な志のある方(=慧海)を殺して、老先短き我々が災難を免れたとて何の役に立とうか。私も不肖ながら仏教を真実に信じて居る一人である。自分の災難を免るるために人に繩を掛けて殺すような事は出来ない。(中略)たといこの老僧が殺されても 真実に仏教修行に来られた方を苦しめて、自分の難儀を免れることは私にはとても出来ない。(中略)もし我々があなたの去った後に困難に陥いることがあるならば、前世の因縁であると諦めなければならぬ。」 この前大臣の妻もまた、「本当に危うございますから一時も早くお帰りなさるが宜しい。決してこちらの事は御心配には及びません。こちらの事はどうにかまた方法が付きましょうからして、いらない義理立てをせずに早くお立ちなさるがよい」と言って、自分たちが慧海を世話したことによって死罪にあうかも知れぬことを恨むどころか、むしろ自分たちのことには構わず一刻も早く出国するよう勧めるのである。 こうしたチベット人の温情に一方で触れておきながら、上記のように一部のチベット人の言動を見て、チベット人全体への偏見・差別意識に満ちた断言を書き付ける慧海という人の真情が、正直私などにはよく理解できないでいる。これはしかし慧海個人の問題というよりも、むしろ時代の限界と言うべきだろうか…。