2022年8月3日(水)

 あっという間に8月に。

 日本も連日の猛暑らしいが、今夏の韓国も2018年の夏以来の暑さと高湿度で、例年であればほとんどエアコンを使わない我が家でも、既に何度も文明の利器のお世話になっている。

 当の2018年にこのエアコンを設置したのも、体力の弱った(今は亡き)老犬にとってさすがに暑さが厳しすぎると思ったからなのだが(その年の夏は何とか乗り切ったものの、愛犬は翌年の夏を迎えることなく逝ってしまった)、そもそも犬がいながら(たとえ日本ほど高温多湿ではないとしても)エアコンを設置していなかったことだけからしても、我が家には端から犬を飼う資格などなかったのだ(例えば人間と違って犬が発汗によって体温調節が出来ないことすらかなり後になるまで知らなかった)。

 もはや愛犬がいなくなった今になって私はそのことをしきりと後悔し、愛犬に向かって心から繰り返し謝罪し続けるしかないのである。嗚呼・・・・・・。

 

 

 今日はその愛犬の月命日である(上の写真は下の動画から取ったもので、強い風に乗って漂って来た何かの匂いを、神妙な顔つきで嗅いでいるところである)。

 上記に一例をあげたように、犬のことをよく知っている飼い主の元であれば、亡き愛犬は我が家で飼われるより遙かに幸福な一生を送り得ただろうと、愛犬が逝って3年以上が過ぎた今も悔恨と自責の念に襲われる毎日である。

 今更どれだけ反省し、謝ってみたところで、もはや愛犬にその声は届きようがないのだが、それでも私はこれから自分が息絶える瞬間まで、そもそも無知で無神経な飼い主に対して端から恨み言など言おうとも思わなかっただろう従順で純粋無垢な愛犬に向かって、ただただ許しを請い続けるしかない。RIP.

 

 
 
 先日の追悼記事の後(https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12755540947.html)、女優・島田陽子を偲んで、1976年公開の映画「犬神家の一族」を改めて見直してみた(わざわざ書くのは野暮でしかないのだが、この頃の島田陽子はまさに透き通るような美しさで、演技にしても決して悪くはなかった)。
 
 
 その際紹介した綺麗な映像の予告編(https://www.youtube.com/watch?v=sgkQbFJ1cVI 残念ながら削除されてしまい、リンク切れ)を見ていたら、以前このブログで紹介した4K修復版(https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12705012968.html)をどうしても見てみたくなったのだが、今すぐ日本から取り寄せるのは難しいためインターネットであちこち探してみたところ、4K修復版のクオリティには到底及ばないだろうものの、そこそこ綺麗な映像のヴァージョンが見つかった(私は日本版DVDも持っているのだがお世辞にも高画質とは言えず、今回インターネットで見つけたものにも全くかなわない)★。

 

 
 
 そこで9歳の時に蒲田の映画館で見て以来、もう何十回目になるか分からない鑑賞を改めてしてみたのだが、初見時のオリジナル版は除くとして、おそらくこれまで見た中で最も鮮明だろう映像で鑑賞してみると、同じ作品でありながらも全く異なった別ヴァージョンを目にしているようにさえ思え、改めてこの作品が自分にとって極めて重要なものだったことを再認識させられたのだった。

 

・「犬神家の一族(1976年)」(市川崑監督) 4.0点(IMDb 7.1) インターネットで再見

 

(上の画像は、映画開始前に流れる角川春樹事務所作品の懐かしいタイトルとロゴ)


 細かい感想は省いて、以下に島田陽子の出演場面を中心に今回見たヴァージョンから取った画像を何枚か掲げつつ(中国のサイトだったので中国語の字幕や表示が映っているが、悪しからず←後日、別の映像のものと置き換えた)、亡き島田陽子のありし日の姿を振り返ってみたいと思う(ネタバレあり)。

 

 

 まずは映画の最初の方で、島田陽子演ずる野々宮珠世の乗っていたボートに穴が開けられて沈んでしまう場面(咄嗟に駆けつけた下男の猿蔵と探偵・金田一耕助に救われる)

 下の写真は、猿蔵に助けられて金田一耕助が漕いで来たボートに乗り込んだ珠世。

 

 続いて犬神財閥の創始者である故・犬神佐兵衛の遺言状お披露目の際、戦争で顔をひどく損傷して見る影もなくなった犬神家の長男・佐清(すけきよ)が、偽者や替え玉でないことを証明するため素顔を見せるべきだという周囲の圧迫により、母・松子の手配で作られた仮面をやむなく脱いだ瞬間の、野々宮珠世の驚愕の表情。

 

 

 これが仮面を脱ぐ前の佐清(演じているのは、あおい輝彦)。

 

 続いて、出征前に直してもらったことのある時計が戦争中に壊れてしまったので、また修理してくれるよう珠世が佐清に頼む場面(珠世は佐清が偽者であることを疑い、時計についた指紋を那須神社に奉納されている手型と照合してもらおうと目論んだのである)。

 

 

 背後にある菊人形の陰に下男の猿蔵が隠れている(これが後に起きる事件の布石となっている)。

 

 次は湖にボートを浮かべて日光浴をしている珠世を、犬神家の3男・佐智(川口晶)が「我が物」にしようと、警察や金田一耕助が一家を招集して重要な会合をすると嘘をついて、自分の乗るモーターボートに誘い出す場面。

 

 

 続いて、突然目の前にあらわれた「本物」の佐清に驚く珠世。

 

 

 互いに密かに思慕の念を抱き続けて来た2人は、久々の再会にひしと抱き合う。

 

 

 自らが度重なる殺人の実行者であることを告白し、犬神の家など捨てて何もかも忘れてやり直してくれと言い残して佐清が去って行った後、呆然と佇み、泣き崩れる珠世。

 

 

 下の写真は、佐清が立ち去る際に残していった自らの犯罪を自白する手紙を、珠世が金田一耕助に渡して佐清について語り合う場面。

 

 

 そこに猿蔵が、佐清に異変が生じたことを告げに来る(その前に、今では廃屋となっている旧犬神邸に潜んでいた佐清を、猿蔵が警察と一緒に捕縛する場面がある)。

 

 以下は警察に逮捕された佐清が母・松子に会いに行く途中、犬神家の廊下で珠世と顔を合わせる場面。珠世の頬には一筋の涙が・・・・・・。

 

 続いて犯人(松子)が、家族や警察、金田一耕助らの前で自らの犯行を自供する場面。

 

 遺体遺棄などの罪に問われるだろう佐清が、刑を終えて出て来るまで待っていてくれるわねと松子が問うのに、珠世は「お待ちします。・・・・・・佐清さんさえ、お望みなら」と答える。

 

 下は、珠世の答えに感に堪えないという表情(のはずなのだが?)の佐清。

 

 映画の最後で、何人かの登場人物が事件を解決に導いた金田一耕助を駅まで見送りに行こうとするのだが、島田陽子が亡くなってしまったことで、それらの人物を演じていた俳優のうち今も生存しているのは、猿蔵役の寺田稔だけとなってしまった(下の写真。さらに見送られるのを嫌がって急いで駅へと向かい、ひとり列車に飛び乗る金田一耕助役の石坂浩二も当然ながら健在である)。

 ちなみに上の場面で、猿蔵が口にする「あの人のこと、忘れられない」という台詞は、こよなく愛するこの作品で私が最も不要だと思うもので、こんな感傷的な台詞に時間を割くくらいならば、原作にありながら映画では省略されてしまった、犯人の松子が珠世に向かって、やがて生まれて来る佐智と小夜子(2人はいとこ同士)の子供に犬神家の財産を半分、分けてやって欲しい、もし才覚がありそうならば事業にも参画させてやって欲しいと頼む場面こそを、ちゃんと描いて欲しかったものである。


 

 金田一耕助を見送りに行こうとした上述の人間のうちのひとりに、那須ホテルの女中はる(坂口良子、上の写真)がいる。

 坂口良子は今回69歳で亡くなった島田陽子より更に若い57歳で2013年に亡くなってしまったのだが、おそらく市川崑が手掛けた金田一耕助シリーズにおいて、コアなファンたちの間で最も愛されているのがこの人で、この「犬神家の一族」における「おはる」さんはとりわけチャーミングで実に愛くるしい。

 

 映画の冒頭から早々に登場し、那須ホテルの場所を尋ねて来る金田一耕助と遭遇。

 

 宿帳に記された「金田一耕助」という風変わりな名を怪訝そうに眺める「おはる」さん。

 

 

 以下はこの作品で最もユーモラスな場面でのおはる=坂口良子。

 

 食事を終えて犬神家の家系図(下の画像)を作成している金田一耕助に「済みましたかあ?」と声をかけ、「うん・・・・・・とてもおいしかったなあ」と言われて無邪気に喜ぶ「おはる」さん(この場面について記した過去記事→https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502038747.html)。

 

 下はおはるさんお手製の里芋の煮っころがし(?)を食べている金田一。

 

 嬉しさの余り金田一に近づいていって、「全部あたしがこしらえたのよ。なにが一番おいしかった?」と問いかけるおはるさん。 

 

 家系図作成に没頭している金田一は正直に一言。

 「生卵!」

 

 「まあ・・・・・・。ひどい!」



 金田一耕助を駅まで見送ろうとしていた人としては、他にも古舘弁護士(小沢栄太郎、下の1枚目)や警察署長の橘(加藤武、同2枚目)がいるのだが、小沢栄太郎は1988年に79歳で、加藤武は2015年に86歳で鬼籍に入ってしまっている(←当ブログの関連記事 https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502041452.html)。

 

 
 これからも折を見て、島田陽子のみならず、今は亡きこれらの俳優たちの姿を目にするために出演作を繰り返し見返したいと思っている(島田陽子関連では、野村芳太郎監督の「砂の器」(1974年)もつい数日前に再見したばかりなのだが、この映画については別の機会に)。
 
 最後に改めて、島田陽子をはじめ、この「犬神家の一族」という映画に関わった今は亡き映画人や俳優たちの冥福を心より祈りたい。RIP.