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  「悪い奴ほどよく眠る」(1960年)

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  「豚と軍艦」(1961年)

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  「豚と軍艦」(1961年)

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  「犬神家の一族」(1976年)

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  「犬神家の一族」(1976年)

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  「悪魔の手毬唄」(1977年)

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  「獄門島」(1977年)?

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  「獄門島」(1977年)

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  「女王蜂」(1978年)

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  「病院坂の首縊りの家」(1979年)

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  「八つ墓村」(1996年)

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  「犬神家の一族」(2006年)

 

 2015年8月1日(土)
 昨日、俳優の加藤武が亡くなった。享年満86歳。

 加藤武と言えば、私にとってはなんと言っても横溝正史原作の金田一耕助シリーズの警察官役である(署長、警部、捜査主任など役職は様々で、名前も橘、立花、等々力などバラバラなのだが、やはり原作にもしばしば登場する「等々力警部」という名前が一番馴染みやすい)。
 毎回金田一耕助に対してライヴァル意識を剥き出しにしては、「よし、分かった!」と独自の(しかし凡庸な)推理を働かせて事件の犯人を名指してみせるのだが、ついぞ真犯人を言い当てた試しがない(はずだが、あるいは結果的にその適当な推理が正しかった例も中にはあるかも知れない)。

 しかし加藤武は金田一耕助シリーズの前にも、川島雄三の「幕末太陽傳」でのナレーションや、黒澤明の「悪い奴ほどよく眠る」での三船敏郎演ずる西の親友・板倉役、今村昌平の「豚と軍艦」でのヤクザ役など、印象的な演技を我々に見せて(聞かせて)くれている。
 この中の1本「悪い奴ほどよく眠る」で、とある汚職事件にからんだ電話をかけ終えてから階段を昇っていき、ソファに腰掛けてチャーハンを一口食べ、煙草を吸うというなにげない(長回しの)場面で、他ならぬ加藤武がNGを何十回も繰り返したという話が、黒澤明の演出の厳しさを物語る際のエピソードとして知られてもいる。


 このエピソードを知ることになった元の資料(うろ覚えだが、おそらく共同通信社刊の「黒澤明―夢のあしあと」)が手元にないので、先の6月に池袋の新文芸座で行われた、黒澤組のスクリプターだった野上照代と加藤武の対談の模様を載せている他のサイトの内容を無断で使わせてもらうことにする(http://ayamekareihikagami.hateblo.jp/entry/2015/06/03/222742 続き→http://ayamekareihikagami.hateblo.jp/entry/2015/06/03/222745)。


 「(加藤武談)藤原釜足さんを誘拐監禁していて、ぼくは階段を上がって行ってドアを開けてチャーハンを与える。そこで監督が"緊張してる、もっと軽やかに階段を上がれ"って。最初は3段くらい上がってノック、それじゃダメ。もう少し後ろから階段を上がれって言われて、またダメ。次に外から上がれって。何度も上がってドアを開けると、ダメって言われて。30回まで数えてたけど、それ以降は意識が朦朧(笑)。三船敏郎さんは、ぼくの芝居が済んでから出てくるから、ずっと待ってるんです。おれはもう泣きそう。"リラックス!"って言われるけど、できるわけない。三十何回目、三船さんが冷たい水をそっと渡してくれて。飲んだら気持ちが落ち着いて、スーッとうまくいった。ぼくは三船さんに足向けて寝られない。こういうとき普通なら、先輩は厭な顔するよ。そういうことは何も言わない。あの思いやり、いまだに身に沁みてますね…」


 それでも加藤武はその後も「用心棒」、「天国と地獄」、「乱」と黒澤明の映画に出演し続け、上の対談によれば最後まで黒澤明に叱られ続けている。

 「叱られる」ことに関しては、当の加藤武が今年3月の日本経済新聞に「もう叱ってくれる人がいない」と題するエッセイを載せている。
 この中で加藤は俳優という仕事には「師匠」がおらず、「自分のやり方で自由にやれる。誰に何も言われないからいいんだと思えば思っていられる。思い込みが昂じて鼻が高くなってもその鼻をへし折ってくれる人はいない。ここが師匠を持たない長所でもあり欠点でもある」と記している。
 しかしそんな加藤を、(おそらく同じ俳優のなかで、ということだと思うが)ただ一人だけ叱ってくれる人がいたと言う。「文学座創立メンバーで看板女優だった杉村春子」である。「稽古をしていても油断も隙もなかった。何時雷が落ちてくるか判らない。満座の中でびしびし叱られた」そうである。
 そんな杉村も、1997年に91歳で亡くなってしまう。
 「もっと叱られておけばよかった。今は芝居をしていても良いのか悪いのか自分では判らない。こんな風にするときっとこんな風に杉村さんに叱られるだろうな、と思ってやるしかない。叱ってくれる人がいないと何とも心細い」
 しかしある日、加藤は自分を叱ってくれる新たな「師匠」に出会う。文楽の竹本住大夫である。その浄瑠璃を聞いて、加藤はこう思う。
 「あれ? 住大夫が私を叱っている!」
 むろん実際に叱ってくれている訳ではない。しかし「住大夫の浄瑠璃を聞いていると、人物が生きている。情が切々と伝わって来る。場面が手に取るように見えてくる。杉村さんのお叱りと全く同じなのだ」 そして加藤は思う。「私の師匠は『住大夫』と心に決めた」と。
 そんな竹本住大夫も脳梗塞に倒れ、2014年に引退してしまう。「住大夫は引退した。だが大夫は何時も私を叱ってくれる師匠なのだ」(★→記事の最後)
 
 こうして見ると、どうやら加藤武という人はつくづく叱られる運命にあった役者、叱られることが好きな役者だったようである。いや、自ら好んで叱られてきたというよりは、叱られることで自らの演技をかえりみ、思い悩み、そして切磋琢磨してきた人だと言うべきだろうか。
 加藤武という人は、決して演技力で見る者を圧倒するような「名優」ではない。しかし黒澤明に何度も駄目出しをされた「悪い奴ほどよく眠る」でも、穴を掘るのが面倒で死体を豚に食わせてしまう「豚と軍艦」のヤクザ役でも、金田一耕助シリーズの警察官役でも、加藤武という役者の個性は他の主役たちに決して劣ることなく光っている。
 上の対談の最後の方にこうある。

 (加藤武)「黒澤さんのためにえんやこらですね(笑)。黒澤映画の大変さが、いまの私を支えてくれている。画面を見ると、みなさん亡くなられていて」
 (野上照代)「私も来年はいないよ(笑)」
 (加藤武)「野上さんとぼくは誕生日が同じなんです(笑)。来年も祝えるかな」

 それから2ヶ月もたたない昨日、加藤はスポーツ・ジムのサウナで倒れ、搬送先の病院で死亡が確認された。前日までは極めて元気だったらしく、まさに突然の死だったという。かくして日本映画の絶頂期を支えた俳優がまた一人、いなくなってしまった。
 合掌。

 写真(手持ちのDVDから画面キャプチャー機能でファイルに落としたもの)は上から、
 「悪い奴ほどよく眠る」(1960年)
 「豚と軍艦」(1961年) 2葉
 「犬神家の一族」(1976年) 2葉
 「悪魔の手毬唄」(1977年)
 「獄門島」(1977年) 2葉
 「女王蜂」(1978年)
 「病院坂の首縊りの家」(1979年)
 「八つ墓村」(1996年)
 「犬神家の一族」(2006年)

★(追記)
 その後8月8日付の日本経済新聞朝刊に、竹本住大夫は「喪友記 加藤武さんを悼む 太い声の名脇役」と題する文章(というより談話だと思われるが)を載せている。短いものなので、以下に引用しておく。

《「住大夫!」。東京や大阪の文楽公演で、客席から大きな太い声を掛けてくれはったのは加藤武さんでした。絶妙のタイミング。元気づけられた。
 知り合ったのは20年ほど前。エッセイスト・元NHKアナウンサーの山川静夫さんと加藤さん、私の3人でテレビ番組に出た。みんな芝居好きだから話がはずみ、収録時間はアッという間に過ぎました。
 以来、加藤さんと顔を合わせると、いつも芝居の話でした。加藤さんは「文学座」の大先輩である杉村春子さんを崇拝。私も杉村さんの大ファンで芸にもほれていたので、「あの方は、芝居をせんと芝居をしてはりまんな」と役作りの自然さを口にすると「師匠、うまいことおっしゃいますね」と感激していらした。
 地方公演での杉村さんのお話も聞いた。「終演後に宿で遅い夕食をとろうとすると、決まって舞台の講評。私たちは箸をつけられませんでした」。その直々の指導が加藤さんの芸の肥やしになった。彼が登場すると舞台が締まりました。名脇役でした。
 「杉村先生亡き後は、住大夫師匠が私の師匠です」と言ってくれてはりました。私も芸の話が楽しく勉強になりました。あの「師匠」という太い声をもう聞けないと思うと、残念で寂(さみ)しいです。》

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 この間に読み終えた本は、

 三島由紀夫「金閣寺」(再読)とドストエフスキー「死の家の記録」の2冊のみ。
 「金閣寺」は、所々に見られる極めて観念的な文章の中には、今回読み返してみても私の理解が至らない部分も多々あったものの、やはりこの作家を代表する作品の一つであることは間違いないだろう(主要作品すべてを読んだことがある訳ではないし、今読み返したら全く違った感想を抱くかも知れないが、小説作品としては「豊饒の海」四部作の第一作「春の雪」が欠点らしい欠点のない最も完成された作品だと思った記憶がある)。
 ちなみに金閣寺は焼失した当時は今のように金箔だらけではなかったはずで、インターネットで検索してみたところ、下に掲げた写真がどうやら消失以前の金閣寺の姿らしいのだが(ただし確証はない上、色も後でつけたものかも知れない)、この小説の中で絶対的な美の象徴として描かれている金閣も、このようにひなびた姿を晒していたのかも知れない(もっとも私には、この古い写真の金閣の方が今の金ピカの金閣寺よりも、長い年月を耐えてきた品格や荘厳さが感じられてより美しく思える。

 

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 「死の家の記録」はこれまで内容に余り興味を持てず敢えて読もうと思わないで来た作品なのだが、この種の実録モノ(と言っても決して間違いではないだろう)がえてして事実のアット・ランダムな羅列に終始してしまいがちで、それゆえに退屈なものになってしまう弊害を、ドストエフスキーだけの才覚をもってしても免れることは出来ていないように思える。ノンフィクションとしても特段目新しい内容は見られないし、個々のエピソードがバラバラに列挙されているため、一文学作品として見ると布置結構が散漫だという印象を終始、拭いきれなかった。

 映画は、

・「KAMIKAZE TAXI」(原田眞人監督)3.0点(IMDb 7.6)。
・「おとうと」(2010年 山田洋次監督)3.0点(IMDb 7.2)。
・「ボーン・アイデンティティー」(ダグ・リーマン監督)4.0点(IMDb 7.9)。
・「ボーン・スプレマシー」(ポール・グリーングラス監督)3.5点(IMDb 7.8)。
・「ボーン・アルティメイタム」(ポール・グリーングラス監督)3.5点(IMDb 8.1)。
・「炎上」(市川崑監督)3.0点(IMDb 7.3)。
 原作を読んでから見ると、やはり小説と映画の表現形態の違いを大いに実感させる作品となっている。どちらの形態がより優れているかどうかということではないが、一般的な評価の高いこの「炎上」も、極めて観念的な小説が原作であるだけにどうしても映像では表現しきれていない部分を強く意識してしまい、文学作品を映像化することの困難を改めて感じざるをえない。とりわけ原作の核心であるはずの「なぜ金閣を焼くに至ったのか」という主人公の内面的な過程が、映像では全く「見えて来ない」のである。
・「五番町夕霧楼」(田坂具隆監督)3.5点(IMDb 7.0)。
 これまた金閣寺放火事件を扱った作品だと言えるのだが(だからこそ「炎上」に続けて見てみたのだが)、「炎上」以上に犯人の内面(金閣放火に至るまでの内的必然性)が見えて来ない。後に松坂慶子主演で再映画化されたものには、金閣寺放火に至るまでの犯人に関するエピソードがより細かく描かれているようなので少しだけ見てはみたのだが、映画そのものが余りに通俗的で、かつ「お色気」が主体になっていて、全篇を見通す気が全く起きなかった。
・「赤毛」(岡本喜八監督)4.0点(IMDb 7.1)。
・「ブラディ・サンデー」(ポール・グリーングラス監督)3.0点(IMDb 7.7)。
 作品の趣旨や意気込みは買うものの、映画作品としては精々この点数か。この映画が取り扱っている「血の日曜日」事件に関しては、過去の記事を参照のこと(https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502038513.html、あるいはhttps://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502038074.html)。
・「ロンゲスト・ヤード」(ロバート・アルドリッチ監督)3.0点(IMDb 7.1)。
 アメリカン・フットボールの試合の模様を日本語に訳すことは容易ならざることなのだろうが、日本語字幕が余りに杜撰なのが気になって仕方ない映画だった(音声は流れているのに字幕が出てこない場面が非常に多かった)。そもそもアメリカン・フットボールの基本的なルールが分かっていないと、最後の最後でタッチダウンが決まる切迫感も観客にはうまく伝わらないだろう。そういう意味では観客を選ぶ映画である(私はおおよそのルールを知っているのでそれなりには楽しめたが、演出にも全く緊張感がなく、怪作「キッスで殺せ!」や「何がジェーンに起ったか?」をものしたアルドリッチ(オルドリッチ)としては凡庸な作品だとしか思えなかった)。