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 2010年3月14日(日)
 高くどこまでも突き抜けるような青空。久々に気温も高めで、街中には半袖で歩く人の姿もチラホラ見かける。一旦陽が翳れば空気はまだ冷たく、春の到来は今しばらくお預けかも知れぬが、確実にその予感はピンと張りつめるような冷たい風のなかにかすかに薫ってもいる。
 1日の間に四季があると言われるロンドンらしく、そうこうするうちに灰色の雲が空を覆い尽くし、一雨来そうな天候になる。気温も急激に下がり、厚手のコートを着ていても寒く感ずるほどである。

 聖パトリックの日と言えば、アイルランドにキリスト教を広めた守護聖人である聖パトリックの命日を記念するもので、アイルランドを始め、世界各地に散らばったアイルランド系の人々(以下、アイリッシュ)が集ってパレードなどを行う日として知られている。いわゆるジャガイモ飢饉で大量にアイリッシュが流入したアメリカでは、特にこの日を祝う行事が盛んである。
 正確には3月17日が聖パトリックの日にあたるが、その直近の日曜日である今日、ロンドンではGreen ParkからWhitehallまでパレードが行われ、パレードの終点近くのトラファルガー広場ではコンサートなど各種イヴェントが開催されている。アイルランドを象徴する緑色の衣服や帽子を身につけ、顔や体に三つ葉のクローバー(シャムロック)をかたどったシールを貼った人々が通りにあふれ、道路を行進する人々と一緒にアイルランドの国歌や民謡を口ずさみ、感極まって大声で叫びを挙げたりしている。
 アイルランドのみならず、イングランドやウェールズ、スコットランドにもそれぞれに守護聖人がおり、各祝日には記念行事が行われるが、不思議にも聖パトリックの祝日ほどには人口に膾炙しているとは言えない。おそらくそれにはアイリッシュの結束力の強さが影響しているだろうし、その結束力をもたらしているものが、かつての(そして恐らくは今日に至るまでの)イングランドによる迫害や差別の歴史を反映しているに違いない。


 アイルランドの歴史について語る資格も知識も私にはないが、例えばケン・ローチの「麦の穂をゆらす風(The Wind That Shakes the Barley)」やニール・ジョーダンの「マイケル・コリンズ」といった映画作品を見る時、たとえそこに政治的・思想的偏向が確実にあるにせよ、アイリッシュがイングランドによって如何にひどい扱いを受けて来たかを見て取ることが出来る(直接アイルランドの歴史を主題とする訳ではないが、デイヴィッド・リーンの「ライアンの娘」は、アイルランドと英国との関係を踏まえながら、一人の無垢で奔放な女性の悲劇を描いて、芸術的にも優れた達成を遂げた傑作である)。


 移住して行ったアメリカにおいても、遅れて来た後発組の移民であることや、プロテスタントとカトリックという宗教的な対立感情もあって、同じ白人の間でもアイリッシュはイタリア系やユダヤ系白人などと共に時として侮蔑の対象になり、移民当初は警官や消防官などの危険な職業につくことを余儀なくされたと言われている。私は如何なる愛国主義も民族主義も支持しはしないし(それがあらゆる排外主義から自由であるなら話は別だが、おそらくそのようなことはまずありえない)、アイリッシュ=被差別者と決め付け、その原因を他の民族・宗教グループに一方的に押し付けるつもりもないが、現在の英国においても未だに対立感情や差別意識が根強く残っていることは事実であるだろう。

 ジョン・レノンに「The Luck of the Irish」という歌があって(アルバム「Some Time in New York City」所収)、そのメロディは美しくやさしく、私が秘かに愛唱する歌のひとつであるが、その歌詞に視線を転ずると、かくまでに激烈な歌詞を持つポピュラー・ソングは滅多にないと言って良いほど、イングランド人への敵意と憎悪に満ちた言葉が並んでいる(此処に詳しく引用するのも憚られる程である)。
 ジョン・レノンをはじめ、ビートルズの主要メンバーはアイリッシュを祖先に持ち、そもそも彼らの出身地である港町リヴァプールは地理的にアイルランドに近いこともあり、アイリッシュが英国に流入する際の玄関口となった土地である。確か司馬遼太郎も「街道をゆく」の「愛蘭土紀行」を、ロンドンからリヴァプールを経て、船旅でアイルランドのダブリンに上陸する行程を辿って語り継いでいったはずである。それはアイリッシュたちが辿った経路の逆を行くものであるが、司馬遼太郎がリヴァプールという土地とアイルランドとの関係を重視していたことを示す証左とはなるだろう。


 ジョン・レノンがどれだけ自分の出自であるアイルランドを絶えず意識していたか寡聞にして知らないが、おそらく1972年に起きたいわゆる「血の日曜日」事件を契機に、彼はこの「アイルランド人であることの幸運」という皮肉に満ちたタイトルの曲と、「Sunday Bloody Sunday」とを同じアルバムに収めた(後者と同じタイトルを持つ曲を、アイルランド出身のU2がアルバム「WAR」の最初に据えたが、個人的にはこちらのU2の曲の方が優れていると思っている)。
 そもそもが「Woman Is The Nigger Of The World」や「Attica State」などといった扇情的な題名や内容を持つ歌を多く収録しているアルバムであり、彼の関心はもっぱら政治的・思想的なもので、アイルランドや自身の出自への関心が一過性のものであった可能性も決して否定できない。
 これに先立ってポール・マッカートニーも「Give Ireland Back to the Irish」という曲を発表している。これは歌詞、音楽ともにジョン・レノンやU2の曲には遠く及ばない作品ではあるものの、彼もまた自分の中に流れるアイリッシュの血を意識してこの曲を書いたことは間違いなかろう。

 イングランドとアイルランドとの関係を考える時、日本人である私は勢い、かつて日本の植民地であった韓国や台湾のことを思わないではいられぬし、上に挙げた映画を見る時にも、無邪気にもアイリッシュの側に立ってイングランドの悪逆非道を責め立てるような勧善懲悪的な態度を取ることは出来ない。
 むろんイングランドとアイルランドの関係と、日韓・日台の関係は自ずと異なったものであり、それらを同列に論ずることは出来ない。しかしそうだからと言って、例えば映画「カサブランカ」を見て、ドイツ軍人に反撥した登場人物がカフェで「La Marseillaise」を演奏させ、それにあわせて客たちが皆で合唱する場面で、自分をフランス人や連合国の人間に同化させて間違っても「感動」などしてしまってはならないように(かつて大学の同級に、そういう破廉恥な真似を恥ずかしげもなく口にする人間がいて仰天したものだった)、我々は過去の歴史を日々背負って生きているのである。それが腹立たしいならば、祖先たちのことを恨めばいい。その恨みが所詮、天に唾することでしかないにしてもである。


 だから今日、聖パトリックの日のパレードを見、コンサート会場であるトラファルガー広場に佇んでいた時も、私は決して無邪気に愉しむことは出来ないでいた。アイリッシュたちが今日、あの場所で共に分ち合い、確認しあっていたものは、単に私にとって無縁なものであるだけでなく、それを理解するだけの経験も資格も自分には決定的に欠落している為に他ならない。もしそれを孤独という名で呼ぶことが出来るとしたなら、しかし私にはその孤独が必要なのでもあった。幼い子供ならば無邪気のままでいい。だが無邪気な大人というものは、ただ無惨で醜いものだ。

 トラファルガー広場に出ている屋台で、私はアイリッシュ・シチューを食べてみることにした。これまでもアイリッシュ・パブで何度か食べてみたことはあり、しかし決してその味を好きにはなれなかったものである。好きになれなかったのは、主にシチューに用いる羊肉の臭みによるものだったが、今日トラファルガー広場で味わったものはスープに全く塩気がない上に、肉も野菜も十分に煮えておらず、そもそもそれが何の肉であるかも分らないようなひどい代物だった。
 私は絶えず携帯している塩をシチューに加えて何とか食べ続けようと試みてみたが、シチューに添えられているブラウン・ブレッドという、イーストを用いずに焼いたパンもボソボソとして噛み応えがなく、口に含んだ途端にそのまま吐き出したくなった。シチューもパンも、何度かパブで食べたものと比べてもおよそ食用に耐えるものとは思えず、近くにあるゴミ箱には、ほとんど手つかずのまま棄てられているそれらの残骸を幾つも見て取ることが出来た。
 天性の吝嗇家であり、滅多に食べ物を残さないことを身上としている私も、このアイリッシュ・シチューには完全にお手上げだった。シチューの塩気やパンの食感どころの問題ではなかった。既に幾重にも積み上げられたシチューの残骸の上に、私もほとんど手付かずの紙皿を載せてその場を立ち去った。

 家に戻る前、私は口直しのために近くのパブに寄り、アイルランドの黒ビール「Guinness」のパイントを頼んだ。いつにも増してそのビールは苦く感じられたが、それはビールそのものの持つ苦さのせいばかりではなかった。私は長かった半日のことを思い返し、ちびちびとその黒い液体を舐めるように口に含んだ。
 昨春、私はアイルランドへの旅行を計画していたが、突然のように湧き起って猖獗を極めるかのようだった豚インフルエンザの影響でやむなく断念せざるをえなくなった。厄介なことに、職務上私は同僚でもある従業員に対して、当面は個人旅行を慎むよう要請すべき立場に置かれ、アイルランドのみならず、もはや返金のきかない別の旅行も泣く泣くキャンセルすることになった。
 苦いギネス・ビールを喉の奥に流し込みながら、私は今年こそは必ずアイルランドを訪ねてみねばなるまいと考えていた。未だに半分も読み通すことの出来ていないジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」の舞台を訪ねてみるという表向きの理由はともかく、本場でアイリッシュ・ブレックファストやアイリッシュ・シチュー、そしてブラウン・ブレッドを味わい、地元で作られたギネス・ビールを注いだグラスを傾け、アイルランド訛りの英語に酔い痴れてみねばならない。そしてイングランドとアイルランドの歴史に思いを馳せ、その後に、棄てたくても棄てることの出来ない日本という自国の歴史のことをも考えねばならないだろう。
 既に酔いのまわり始めた頭で私はそう思いながら、ギネスの最後の苦い一口を飲み干すと、寒い街路に出てふらふらと覚束ない足並で、狭苦しいアパートに戻っていった。