2022年3月24日(木)

 映画「ゴッドファーザー」が全米で公開されてから今日でちょうど50年になる(らしい。ただしそれより前の3月14日にプレミア上映が、ニューヨークにあったLoew's State Theatreという劇場で行われているそうである。日本語版Wikipediaではプレミア上映日が3月15日、全米公開日も3月25日となっているのだが、これは米国と時差のある日本時間ではということなのだろうか)。

 

 

 公開50周年を記念して、米国をはじめ日本でも「ゴッドファーザー」3部作が劇場で上映された(ただし「PART III」は当ブログでも紹介した2020年の再編集版「ゴッドファーザー<最終章>:マイケル・コルレオーネの最期」が上映された→過去ブログ https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12644339277.html)。その予告編動画が以下のものである。

 https://www.youtube.com/watch?v=-aNbkJnHIEo

 

 

 また、「ゴッドファーザー トリロジー 50thアニバーサリー 4K Ultra HD+ブルーレイセット」というソフトも明日25日に発売される(上の写真。定価¥24,200のところ、例えば日本のAmazonでは¥18,652で予約販売中)。

 4K Ultra HDという高画質がこのソフトの最大の「売り」だろうが、ブルーレイ版に声優の野沢那智がマイケル・コルレオーネを担当した吹替版が収録されているのも、この映画にテレビの吹替版で親しんだ世代にはたまらない特典だろう(私の持っているDVDにも日本語吹き替え音声が収録されているのだが、野沢那智版に親しんだ人間からすると、とても聞けたものではなかった)。

 

 

 私も子供の頃にテレビ(当然、野沢那智版)で第1作の「ゴッドファーザー」を見て以来、「ゴッドファーザー PART II」と合わせた2部作はビデオやDVDで何度か見返し、マリオ・プーゾの原作も買って読み、1991年に「ゴッドファーザー PART III」が公開された際も、友人と一緒に劇場に足を運んで見たものである。

 もちろん3部作のDVDも持っていて好きな時にいつでも見返すことが出来るのだが、いずれも3時間前後という長さもあって気軽に何度も見られるものではなく、大好きな割にはそれほど頻繁に見返して来た訳ではない。

 公開50周年を迎えることを知り、またAmazon Prime Videoで上記「ゴッドファーザー<最終章>:マイケル・コルレオーネの最期」が月替わりセールで100円になっていたこともあり、これら3部作をまとめて見直してみることにした(下記の通り、オリジナルの「ゴッドファーザー PART III」もあわせて見た)。

 

 

  以下に今回見直した各作品の簡単な感想を書いておくと、

 

・「ゴッドファーザー(1972年)」(フランシス・F・コッポラ監督) 4.5点(IMDb 9.2) 日本版DVDで再見 上のイラスト

 演出、撮影(ゴードン・ウィリス)、演技、美術(ディーン・タヴォウラリス)、音楽(ニーノ・ロータ)等が見事に統率・融合されて完璧なまでに調和が取れ、極めて緊密な構成になっており、各シーンが切り替わる際の画面や音楽、音の引き継ぎも絶妙で間然するところがなく、それにはウィリアム・レイノルズとピーター・ジンナーによる編集の妙が大きく貢献していると言ってもいいだろう。

 俳優陣では何と言ってもマーロン・ブランドとアル・パチーノが突出して素晴らしいが、トム・ヘイゲン役のロバート・デュバルやクレメンザ役のリチャード・カステラーノ、長男ソニー役のジェームズ・カーンや次男フレド役のジョン・カザールなどの助演陣も、各人の個性がくっきり造型されていてリアリティに満ちた存在感を示している。ちょい役と言って良い悪役警官役のスターリング・ヘイドンやルカ・ブラージ役のレニー・モンタナらも強烈な印象で、一度見たら忘れられない程である。

 かつては「ゴッドファーザー PART II」の方が内容的な深みや広がりもあり、第1作である今作を上回る出来だと考えていたのだが、今回改めて3部作を見直してみて、第1作の完璧とも言える構成の巧みさに圧倒され、3部作中のベストだと思い直すことになった。

 

 

・「ゴッドファーザー PART II(1974年)」(フランシス・F・コッポラ監督) 4.0点(IMDb 9.0) 日本版DVDで再見 上の画像

 これまた傑作ではあるが、作品構成がやや散漫で1作目ほどの緊密度がなく、結末にしてもやり過ぎと思えるほど悲観的で重苦しいものになっていて、200分という「長さ」を意識してしまった。むろんその過度なまでの重厚さこそ今作の魅力とも言えるのだが、それでもマイケル・コルレオーネという人物をあそこまで酷薄で容赦ない人物にする必要があったのか疑問を覚えないでもない。

「自分は誰も彼も始末する訳ではなく、"敵"を殺そうとしているだけだ」といったことを口にするマイケル・コルレオーネが、性格的な弱さ故に失態を繰り返す実の兄まで「処分」してしまうのはさすがに残虐で痛々し過ぎる(一家の「ドン」になりはしたものの、そうした非情さ故に彼の孤立感や焦燥は益々深まっていくだけでもある)。

 結果的に正反対とも言える道を進んでいく父ヴィトーと子マイケルの対比構造は作品に奥行きや深みをもたらしており、また各シーンの切り替えも前作に劣らず見事で、重層的で奥深い内容という面では前作を上回る出来だろう。

 ただし第1作同様、登場人物が多い上に画面に顔がはっきり映らないことが多く、誰が殺されたのか、今作の登場人物が第1作の誰に該当するのかなどが咄嗟には分かりづらく、何度か前に戻って見返さないと人物関係がうまく把握出来なかったのは、今シリーズに共通する難点である(その反省もあってか、第3作では最後の殺戮シーン前に誰が誰を殺しに行くかの説明シーンがある)。これまで3作をまとめて見たことがなかったこともあり、初見から40年以上たって、今回ようやく人物関係が明確に理解出来た。

 

 

・「ゴッドファーザー<最終章>:マイケル・コルレオーネの最期(2020年) 原題:Mario Puzo's The Godfather Coda: The Death of Michael Corleone」(フランシス・F・コッポラ監督) 3.0点(IMDb 7.6) Amazon Prime Videoで視聴 上のイラスト

 オリジナルの「ゴッドファーザー PART III」の内容はうろ覚えだったのだが、今作を見ても鑑賞後の印象はほとんど同じで、決して悪い出来ではないものの第1作や第2作のような傑出した作品ではないという評価も相変わらずである。

 世評ほど娘役のソフィア・コッポラがひどいとは思わないが(もっとも演技云々以前に、立ち居振る舞いからしてプロのものとはとても思えないのだが)、それ以前に脚本自体が弱く、「新たなドン」となるヴィンセント役アンディ・ガルシアを始めとする若い俳優たちの演技や存在感も余りに軽過ぎて、前2作と同列に並べることは出来ない(ちなみにアンディ・ガルシアは「アンタッチャブル」(1987年)や「ブラック・レイン」(1989年)で好演していて決して嫌いな俳優ではなく、単に「適材適所」ではないのである)。

 アル・パチーノやダイアン・キートン、タリア・シャイアなど旧作に出ていた俳優たちの「その後」を見られる楽しみはあるものの(他にも一家の長男・故ソニーの愛人でヴィンセントの母親である女性や、シチリアにおけるマイケルのボディガード役フランコ・チッティ、パン屋のエンゾ、歌手ジョニー・フォンテーン、トム・ヘーゲンの未亡人役など、第1作目と同じ俳優たちが出演している)、そうした懐かしさだけで今作の評価を上げるのはやはり難しい。

 また、この再編集版では、最後のマイケルとのダンス・シーンでかつての妻たちの姿がざっくり削られ、この場面に流れる(個人的に大好きな音楽でもある)「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲もそのまま端折られてしまっていて、無惨と言いたくなるような結末になってしまっている。

 正直、コッポラが何をどう考えてこんな杜撰な編集をしたのか理解不能で、再編集にもかかわらず鑑賞後の印象にも大差がなく(むしろ改悪にすら思える)、映像や音声が修復されて綺麗になったことは評価出来るものの、最初の2作に及ばない点も変わらない。

 

 

・「ゴッドファーザー PART III(1990年)」(フランシス・F・コッポラ監督) 3.0点(IMDb 7.6) 日本版DVDで再見 上の写真
 上の「<最終章>」と同時再生しながら見たのだが、「<最終章>」では冒頭部のエピソードの順番が入れ替わっていることと、結末が多少改変されていることを除けば、幾つかの短いシーンが削除されているだけでほとんど差がなく(従って評点も同じ)、上記の通り、結末のダンス・シーンはこのオリジナルの方が断然良い。

 マイケル・コルレオーネの「最期」を父ヴィトーの最期に重ねて対比させたかったことは理解出来るものの(ただし「<最終章>」ではこれすらも削除されてしまっている)、厳しい言い方をするなら、この3作目はそもそも作る必要がなかったと言って良い凡庸な出来である。

 

 

 

 やはりAmazon Prime Videoのセールで100円になっていて視聴した同じコッポラ監督の以下の作品についても、ついでに触れておくことにする(過去記事→https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12510916649.html)。

 

・「地獄の黙示録 ファイナル・カット(2019年)」(フランシス・F・コッポラ監督) 4.0点(IMDb 8.5) Amazon Prime Videoで視聴 上の画像

 予告編 https://www.youtube.com/watch?v=sEMKMaAoCSM

 予告編2(コッポラの紹介付き) https://www.youtube.com/watch?v=zyvuNal_z5o

 予告編3 https://www.youtube.com/watch?v=ULT9_hjGfuU

 特報 https://www.youtube.com/watch?v=srsdsOfgTPw

 

 2001年公開の「特別完全版」と見比べながら見てみたのだが(1回目は今作のみ、2回目に「特別完全版」と同時再生して比較)、映像がデジタル修復で綺麗になっただけでなく色合いもかなり変わっているのが大きな違い(のひとつ)である。

 内容的にはプレイメイトたちとのやり取り(ヘリコプター内部など)の場面がばっさり削除されている他、フランス人植民者たちとの会話のうち、ベトコンを生んだのはアメリカだといった台詞がカットされたり、ウィラードが幽閉されている間カーツが訪ねて来て雑誌「タイム」の記事を読む場面なども削除されている。

 削除部分を何でもかんでも元に戻した「特別完全版」は3時間22分もの長尺になっていてやや散漫な印象を受けたが、それに比べると今ヴァージョンは「引き締まった」構成になっていると言える。

 最初の劇場公開版では、若き日のローレンス・フィッシュバーンが演ずる「クリーン」の埋葬される場面がカットされていたり、川を遡る途中でサム・ボトムズ演ずるジョンソンがサーフィンする際のサーフボードをどこで手に入れたかが描かれていないのだが(おそらく「特別完全版」にはこれらプロット上の「欠落部分」を補完する意味合いもあったのだろう←後日訂正。これは私の記憶違いで、キルゴア中佐からサーフボードを盗む前からジョンソンは既に自分のサーフボードを使って川でサーフィンをしている)、個人的には劇場公開版を綺麗にデジタル修復してくれればそれで十分だった(アメリカなど海外で発売された「ファイナルカット」のブルーレイには劇場公開版と特別完全版も収録されているらしいのだが、日本盤はほぼ同じ価格にもかかわらずファイナルカット版しか収録されていないらしい)。

 

 これは「特別完全版」にも共通する些細な疑問なのだが(「劇場公開版」は未確認→その後確認してみたがどれも同じだった)、映画の冒頭で主人公ウィラードがサイゴンのホテルで鏡を割って怪我をする直前、悪夢や妄想に襲われる中で、後に自ら川を遡って行ってカーツを殺す際のジャングルの様子が出て来るのは、時系列的に明らかにおかしい。彼は本能的に(?)未来を予見していたということなのだろうか。

 

 ともあれ、「ゴッドファーザー」2部作のみならず、「地獄の黙示録」という映画史に残る大傑作を(途中に下記の「カンバセーション…盗聴…」を挟んで)立て続けに完成させたコッポラという人の才能は凄まじい程だったが、これらの作品を撮り終えて燃え尽きてしまったのか、その後の監督作にこれといったものがないことは不思議でならない。天才の能力にも自ずと総量に限りがあるということなのだろうか。


 

 全盛期のコッポラ監督作ということで、以下の作品も視聴した。

 

・「カンバセーション…盗聴…(1974年)」(フランシス・F・コッポラ監督) 3.5点(IMDb 7.8) テレビ放映を録画したもので再見 上の画像

 盗聴業界(?)の第一人者として知られる男が、つまらぬ同情心を起こしたせいで「ミイラ捕りがミイラになってしまう」お話。

 これみよがしの演出がある訳でもないのに、最初から最後まで不穏な雰囲気が漂い、何か剣呑な出来事が起きるだろうことが見る者にじわじわ伝わって来るのが素晴らしい。ジーン・ハックマンの終始不安そうな表情がそうした不安をさらに高めて行くのも見ものである。

 ミケランジェロ・アントニオーニの「欲望」(Blowup、1967年)やその影響下にあるブライアン・デ・パルマの「ミッドナイトクロス」(Blow Out、1981年)などと似通った内容で、おそらく今作もアントニオーニの「欲望」に示唆されて作られたのだろうが、演出や撮影、音や音楽の使い方などに、若きコッポラの才気が感じられる佳作となっている、