2021年3月3日(水)

 今年は昨年のように新型コロナウイルスを言い訳にして無為の日々をいたずらにやり過ごすことなく、一念発起して何か具体的成果をあげなくてはと思いながら、結局ダラダラしているうちに早や3月である。

 

 3月と言えば、もうすぐ2011年の東日本大震災から丸10年になる。だからという訳ではないものの、最近は近所の川べりを散策する際、フォーレの「レクイエム」やバッハの「マタイ受難曲」を繰り返し聴いている。

 (ちなみにいずれも以前から愛聴しているミシェル・コルボ盤=上の写真だが、「レクイエム」の方は、どう歌っても「なまめかしさ」が感じられてしまう女声ソプラノの代わりに、声変わり前のボーイ・ソプラノを起用している点で、この曲の持つ「聖性」とでも呼ぶべき性格を表現するのにより適している(と私は勝手に思っている)。

 一方の「マタイ」は昔から名盤とされるカール・リヒターやクレンペラー、レオンハルトなどの演奏に比べれば歌手陣が弱いかも知れないものの★、独仏伊等の言語や文化が共存するスイス出身の指揮者/楽団ということもあって、ラテン的な軽快さと清澄な美しさとを併せ持った演奏は受難曲の持つ重苦しいまでの重厚さを和らげてくれ、繰り返し聴くのに適している(と私は思っている)。もっともいずれの曲も21世紀に入ってからの演奏はほとんど聴いておらず、最近の傾向はよく分からないのだが・・・・・・)。

《★その後散歩をしながらこれらの指揮者の演奏を部分的に聴き直してみたが、歌唱にしても演奏にしても、いずれも名盤の名に相応しい立派なものであることを再確認した。もっとも余りに立派すぎて、やはり繰り返し聴き続けるには敷居が高すぎるかも知れないとも感じた。また、これらの曲を十全に味わうために、ラテン語は無理だとしても、ドイツ語くらいはもう少し真面目に勉強しておけば良かったという後悔に駆られたものである。》

 フォーレ「レクイエム」→https://www.youtube.com/watch?v=flboe048gn4

 バッハ「マタイ」→https://www.youtube.com/watch?v=_rgUyA4hDU0)。

 もっとも私はこれらの曲の背景にあるキリスト教というものを信じている訳では全くない。今の自分に出来ることは過去の記憶をひたすら反芻し続け、不幸にして亡くなった人々の冥福を祈るとともに、被災地域や被災者の復興を願うことしかないのだが、そうした祈りや願いに静かな心で集中するのに、これらの音楽を聴くことが私には助けとなる(ような)のである。

 

 

 

 そして今日は昨年6月に死んだ愛犬の月命日である。犬でも猫でも、体毛の多い動物は人間以上に毛の長さ(あるなし)によって見た目が大きく変わるものだが、上に掲げた2枚の写真も同じ場所で撮った写真でありながら、全く別の犬ではないかと思うくらい容姿が異なって見える。

 こちらを見上げている左の写真(スマートフォンなどで見る場合は最初のもの)は毛を刈って間もないもので、私から見ても如何にもブサイクな顔つきなのだが、親バカならぬ飼い主バカからすればそんな変な顔をした愛犬もまた可愛く懐かしいのである(もっとも本人が見たら不満かも知れないが、そう言えばこの犬は、自分も人間だと思いこんでいて見た目が犬だということを認めたくないからなのか、鏡に写った自分の顔や姿を見るのが好きではなかった)。ともあれ今月もRIP.

 

 

 話を変えれば、今年も欧州の「シックス・ネイションズ」ラグビー大会が既に始まっているのだが、例年に比べてYoutubeなどで(試合後でも)視聴するのが難しく、せいぜいニュースサイトの文字情報などで試合経過を辿ることくらいしか出来ないでいる。

   今のところイングランドが思わぬ苦戦を続けているのと、ウェールズが1歩抜け出てフランスがそれに続いているという流れだが、特定のチームを応援している訳ではない私にとっては、とにかく実際の競技の様子を1つでも多く見られるようになることを願うしかない。


 さて、相変わらずネタがないので、今回も訃報と映画(備忘)メモでお茶を濁すことにしたい(敬称略)。

 

 

 まずはロシア文学者で、作家・川端康成の婿養子(養女・政子の夫)でもあった川端香男里(2月3日死去、享年満87歳。上の写真。旧姓は山本)。

 ロシア文学者としてはチェーホフやドストエフスキー、プーシキンなどの古典以外にも、エヴゲーニイ・ザミャーチンの「われら」やミハイル・バフチンの「フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化」などの翻訳でも知られる。

 この人の父親はディケンズやメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」などの翻訳もある英文学者の山本政喜で、またイコノロジー研究で知られる美術史学者の若桑みどりは実妹(いずれも故人)と、まさに学者一家である。

 私はこの人の訳したザミャーチン「われら」を持っているのだが(岩波文庫版も持っているが、手元にあるのは以前読んだブルガーコフ「巨匠とマルガリータ」が一緒に収録されている集英社版「世界の文学 4」)、いつも通り積ん読のままなので、是非とも近いうちに読んでみたいと思っている(この人の訳の他にも、小笠原豊樹によるものなど、いつの間にか「われら」の文庫本が3種類も出ていることを今更ながら知った)。

 

 

 続いて脚本家・映画監督の成沢昌茂(なるさわ・まさしげ。2月13日死去、享年満96歳。上の写真左)。

 オリジナル脚本としては溝口健二の「赤線地帯」(1956年)や加藤泰の「風と女と旅鴉」(1958年)、内田吐夢の「浪花の恋の物語」(1959年)、原作のある脚色ものとしては森鴎外原作で豊田四郎の「雁」(1953年)や三島由紀夫原作(江戸川乱歩原案)で深作欣二の「黒蜥蜴」(深作と共同脚本、1968年)、今東光原作で田中絹代の「お吟さま」(1962)、長谷川伸原作で山下耕作の「関の弥太っぺ」(1963年)、榛葉英治原作で中平康の「おんなの渦と淵と流れ」(1964年)などがある(溝口監督作としては依田義賢などとの共同脚本で他にも「噂の女」や「新・平家物語」、「楊貴妃」がある)

 映画監督としては船橋聖一の小説を映画化した溝口版「雪夫人絵図」(1950年)を佐久間良子主演でリメイクした「雪夫人繪圖」(1968年)や、永井荷風「四畳半襖の下張」を原作とする「四畳半物語 娼婦しの」(1966年)などがあるが、この人が才能を発揮したのはやはり脚本家としてだったろう。

 そもそも私がこの人の名前を意識し始めたのは、上の写真を拝借した新藤兼人の「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」(1975年)というドキュメンタリー映画を見て(今のところ下のアドレスで視聴可能→https://www.youtube.com/watch?v=r0R0zYtlyF0)、溝口健二に師事してついには脚本を書くようにまでなったという経歴に興味を覚えたからだった(そのため今回の訃報にも目が止まった訳である)。結果的に溝口の遺作になった「赤線地帯」の脚本はオリジナル作品でもあり、まさにこの人の代表作と言って良いだろう。

 


 

 3番目は俳優の瑳川哲朗(さがわ・てつろう。2月17日死去、享年満84歳。上と下の写真)。

 私もその中に含まれる50代~60代のオヤジ世代にとっては、何と言っても「ウルトラマンA(エース)」の隊長役や時代劇「大江戸捜査網」の隠密同心・井坂十蔵役でお馴染みだろう。

※「ウルトラマンA」第1話は→https://www.facebook.com/watch/?v=369239774452801(10分50秒頃から瑳川氏登場)

 「大江戸捜査網」のオープニング曲→https://www.youtube.com/watch?v=W00zNAOuoTY

 また以下の検索でこのドラマの何話か(その後ほとんど削除されてしまった)を視聴可能→

https://www.dailymotion.com/search/%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%8D%9C%E6%9F%BB%E7%B6%B2/videos?duration=mins_30_60&sortBy=most_recent

 

 

 とは言え私は昔から「ウルトラ」シリーズや「仮面ライダー」などには全く思い入れがなく(「ウルトラマンA」も初放映時に私はわずか5~6歳で、そもそも当時の記憶がほとんど残っていない。過去の関連記事→https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502042097.html)、一方の「大江戸捜査網」にしてもよく見たという程ではないのだが、こちらは物心ついた後も放送が継続していたため、オープニング曲などは未だに記憶によく残っていて、「ウルトラマンA」よりも懐かしさを覚える(今回この人について検索していて、たまたま「ウルトラ5兄弟座談会」という動画を見つけ(前編 https://www.youtube.com/watch?v=ZKZVlnr5WXU、後編 https://www.youtube.com/watch?v=w9E0aeEE3L8&t=9s)、個々の作品には特に思い入れのない私でも、「ウルトラ」シリーズにこめられた教育的テーマについて嬉しそうに語る進行役の瑳川哲朗に魅了されて、ついつい最後まで見てしまった。今更ながらではあるが、この座談会を見ていて瑳川氏の人の良さを改めて実感させられたものである)。

 近年でも水木しげるの戦場体験を描いた「鬼太郎が見た玉砕」(2007年)や横溝正史原作の「獄門島」(2016年)などのNHKドラマに出演していたのが記憶に新しい。

 テレビドラマ以外でもその美声を生かしたナレーションや声優の仕事も多く、映画作品にも坂口安吾の原作を日活ロマンポルノ作品で知られる曾根中生が監督した「不連続殺人事件」(1977年)や、井上靖の原作を稲垣浩が撮った「風林火山」(1969年)などがある。    

 

 

 

 最後は故・遠藤周作の夫人である遠藤順子(1月16日→その後の報道では17日に死去、享年満93歳。上の写真)。

 この人は以下の新潮社ウェブサイトによれば(https://www.shinchosha.co.jp/writer/978/)、《1927(昭和2)年、東京生れ。慶応義塾大学仏文科卒。1955(昭和30)年、遠藤周作と結婚。著書に遠藤氏と暮らした日々をつづった『夫・遠藤周作を語る』(文藝春秋刊)をはじめ『夫の宿題』『再会 夫の宿題それから』(ともにPHP研究所刊)がある》とのことで、ついでに書いておくなら、フジテレビジョンの代表取締役社長COO・遠藤龍之介の母君でもある。

 今回の訃報のことは「軽井沢高原文庫」というブログをたまたま見て知ったのだが(https://ameblo.jp/kogenbunko/entry-12659069195.html)、この記事のおかげで故・遠藤周作の愛読者による「周作クラブ」なる集まりがあることも知った(会長は遠藤の影響でカトリックに受洗した作家の加賀乙彦。同クラブのウェブサイトは→http://shusakuclub.com/)。

 かつて遠藤周作の作品を愛読し、良くも悪くもその後の人生の進路に多大な影響を与えられた人間としては、このクラブの活動内容にも全く関心がない訳ではないのだが、しかし会員になろうと思う程には遠藤周作(やその作品)に対する興味はもはやなく、これからたまにウェブサイトでも覗いてみようかと思った程度である(ちなみに遠藤夫人の訃報が載っているらしい会報82号の内容はまだアップされていない。会報の目次一覧→http://shusakuclub.com/bulletin.html)。

 あいにく遠藤夫人の書籍は読んだことがなく、おそらくこれからも読むことはないだろうが、遠藤周作の闘病の様子などについて語った産経新聞の記事を見つけたので(2008年3月のもの)、以下にアドレスを紹介しておく。

 (上) http://www.sankei.co.jp/yuyulife/mukiatte/200803/mkt080306002.htm

 (下) http://www.sankei.co.jp/yuyulife/mukiatte/200803/mkt080307001.htm

 

 いずれも年齢的には大往生と言っていいだろうが、これら4人の死を悼み、冥福を祈りたい。

 

*

 

 以下はこの間に見た映画の備忘メモ(感想等は極力省略した)。

 

・「エストラパード街(1953年)」(ジャック・ベッケル監督) 2.5点(IMDb 6.9) 日本版DVDで視聴

 映画自体はジャック・ベッケルにしては平凡極まりない出来だが、「シェルブールの雨傘」(1964年)の小うるさい母親役で印象的だったアンヌ・ヴェルノン(1924年1月生まれの満97歳で今も健在)が(下のカラー写真)、今作(下の1枚目の写真)では実に若々しくてスタイルも良く綺麗なのには驚かされた。

 

 

  

 下の写真はインターネットで見つけたおまけ

 
 

・「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ(2013年)」(ジム・ジャームッシュ監督) 3.0点(IMDb 7.3) 日本版DVDで視聴

 ジャームッシュらしからぬ吸血鬼映画で(と思ったら、2019年には「The Dead Don't Die」というゾンビ映画まで撮ってしまった)、作品の出来も特筆すべきものはない。もっぱら主演のティルダ・スウィントンと晩年のジョン・ハートを見るだけの作品。

 

・「シンプルメン(1992年)」(ハル・ハートリー監督) 2.5点(IMDb 7.2) 日本版DVDで視聴

 カルト的人気を誇る作品らしく、出だしは快調で傑作の予感がしたものの、やがて失速してしまい結局凡庸な出来に。ゴダールの「はなればなれに」のダンス・シーンへのオマージュあり。

 

・「ナンニ・モレッティのエイプリル (1998年)」(ナンニ・モレッティ監督) 3.0点(IMDb 6.9) 日本版DVDで視聴

 監督本人のみならず妻子や母親なども自分役で出演する自伝的コメディ作品だが、どこまで不真面目でどこまで真面目なのか全く正体がつかめない。とにかくこんな落ち着きのない人間が近くにいたらさぞ疲れるだろうというのが一番の感想である。作中で撮られているドキュメンタリーやミュージカル映画は果たして完成したのだろうか?

 赤ん坊を片方の肩に載せ、もう一方の手ではラジカセを持って楽しそうに踊る監督の姿を見ていて、いつ赤ん坊を落としはしないかハラハラさせられ、一見子供のことを溺愛しているようでいながら、実際の子供の扱いが意外と雑なのが、あるいはこの人の性格を如実に物語っているかも知れない(自意識過剰で厄介な人らしい)。

 

・「25時(2002年)」(スパイク・リー監督) 3.0点(IMDb 7.6) 日本版DVDで視聴

 原作の制約があるからか、いつもながらのスパイク・リー特有の毒気が全く感じられず、エドワード・ノートン、フィリップ・シーモア・ホフマン、バリー・ペッパーなど主役陣の演技はなかなかだが、作品としては可もなく不可もない出来。

 

・「天使の分け前(2012年)」(ケン・ローチ監督) 2.5点(IMDb 7.0) 日本版DVDで視聴

 そこそこ面白くはあるものの結末には納得が行かず、これではまるで「生粋のワルはどれだけ才能があっても結局は犯罪を繰り返すだけで、余程のことがなければワルの世界から抜け出すことが出来ない」、「持たざる者は持てる者から(たとえ不法行為によってでも)少しくらい分け前を頂戴しても構わない」といったニヒリズムやシニシズムとしか思えない(実際そうした意図があるのかも知れないが、表向き「良い話」になっているため、その意図も曖昧になってしまっている)。

 

・「暗黒街の巨頭(1949年) 原題:The Great Gatsby」(エリオット・ニュージェント監督) 3.5点(IMDb 6.6) 日本版DVDで視聴

 原題からも分かる通りフィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」の映画化作品である(ひどい邦題とは裏腹に作品そのものは意外と悪くないのだが、冒頭でギャツビーの「最期」が示唆されている点は、結末の意外性を減殺してしまっていて失敗だろう)。ギャツビーを演ずるアラン・ラッドは悪くなく、後に同じ役を演じたロバート・レッドフォードやレオナルド・ディカプリオより「はまり役」かも知れない。

 今更ながら思ったことだが、今作において「本気(真剣)」な人間は殺されるか自殺を遂げる一方、「浮気(いい加減)」な人間は危機に瀕しても「本気(真剣)」な人間の犠牲によって最悪を免れるという皮肉な内容で、フィッツジェラルドの悲観的な世界観を垣間見ることが出来ると言っていいかも知れない(「エクルバーグ博士の目」が神の視線を示唆するとすると更にシニカルである)。

 

・「レイニーデイ・イン・ニューヨーク(2019年)」(ウディ・アレン監督) 3.0点(IMDb 6.5) インターネットで視聴(英語字幕付き)

 ウディ・アレンらしいひねりの効いた台詞や映画や音楽(ジャズ)に関するかなりスノビッシュな話題が溢れ、(特に固有名詞の怪しい)英語字幕付きで見ても分からない点が多く、何度もインターネットで検索しながら視聴することになり、アレン作品の通例に漏れず1時間半程度の短い作品でありながら、それなりの時間を要した。

 それにしても1935年生まれで80歳半ばとなった今でも、30歳以上年下の私などの方が照れくさくなるような「ベタ」なロマンス映画を撮ってしまうウディ・アレンの若々しさ(? むしろ老成・成熟の拒絶?)には驚嘆させられるものの、同時に物足りなくも思われる。

 Me Too運動の高まりもあり、ウディ・アレンは養女に対する過去の性的虐待疑惑から映画界を干され、今作もアメリカでは一般公開されなかったそうなのだが、映画監督や作家などの実生活と作品とを結びつけて寄ってたかって血祭りに上げるような最近の風潮に違和感を覚えるしかない私としては、この人にはしぶとく最期まで映画を撮り続けて欲しいと思っている。

 

・「歌え!ロレッタ愛のために(1980年)」(マイケル・アプテッド監督) 3.5点(IMDb 7.5) 日本版DVDで視聴

 先日亡くなったマイケル・アプテッド監督による、実在のカントリー歌手ロレッタ・リンの半生を描いた伝記映画(ロレッタ・リンはその後2022年10月に死去)。主演のシシー・スペイセクが劇中の歌を吹き替えなしで歌うなど熱演し、アカデミー賞主演女優賞を受賞している。伝記映画という制限の多さから来るだろう単調&退屈さを今作も完全には免れてはいないものの、十分見るに値する佳作だと言っていいだろう。

 

・「証人の椅子(1965年)」(山本薩夫監督) 3.0点(IMDb 6.3) インターネットで視聴

 実際の冤罪事件である「徳島ラジオ商殺人事件」に取材した開高健の小説「片隅の迷路」を映画化したものだが、松本清張の作品やカポーティの「冷血」を思わせるような実にスリリングで巻を措く能わずの原作に遠く及ばない出来である(原作は先日初めて読んだのだが、開高健作品の中でも上位に入る傑作である)。

 字幕や新聞記事の多様は映画としては工夫がなさすぎだし、新田昌玄演ずる検察官やその上司たちが如何にも冷酷非情なロボットのような悪人然として描かれているのも、安っぽい犯罪モノのようで却って逆効果である。

 

・「情事の終わり(1955年)」(エドワード・ドミトリク監督) 3.5点(IMDb 6.7) 英国版DVDで視聴

 グレアム・グリーン原作。原作通りの内容ではないものの、ニール・ジョーダン版「ことの終わり」(1999年。原題は上記作品と同じ「The End of the Affair」)よりはまだマシである。主人公サラの「奇跡」をあえて描かない点は悪くないが、そのため無神論者スマイスの頬の上の痣にサラがキスをする場面が宙吊りになってしまってもいる。音楽が大仰過ぎでせっかくの映画の雰囲気を台無しにしてしまっているのも頂けないが、全体的には充分見るに値する作品となっている。

 

・「ハバナの男(1959年)」(キャロル・リード監督) 3.5点(IMDb 7.2) 英国版DVDで視聴

 これまたグレアム・グリーン原作(未読)で、監督はやはりグリーン原作の「第三の男」や「落ちた偶像」を撮っているキャロル・リード。グリーンらしい気の利いたブラック・コメディで実に面白いのだが、大団円に至るまでの流れが出来過ぎで余りに作り物めいて見えてしまうのが最大の瑕疵か。こんな命知らずで豪胆な、それでいて行動が余りに杜撰な諜報員(アレック・ギネス)が実在するはずもなく、リアリティが感じられないのも難点。「俳優」ノエル・カワードが見られるのは嬉しい。

 

・「ジェラシー(1979年) 原題:Bad Timing」(ニコラス・ローグ監督) 3.5点(IMDb 7.0) 日本版DVDで視聴

 歌手のアート・ガーファンクルが主演(相手役はテレサ・ラッセル)。女主人公がポール・ボウルズの「シェルタリング・スカイ」を読んでいる場面があり、今作もまた男女間の葛藤を描いていると言うことも出来るが、むしろ狂気にも等しい過剰な嫉妬や征服欲の必然的帰結である悲劇を描き出した作品と言うべきだろう。

 

・「パッション・ダモーレ(1980年)」(エットーレ・スコラ監督) 3.0点(IMDb 7.2) 日本版DVDで視聴

 冒頭の30分程は映像や撮影の美しい一大ロマンス映画(?)かと思って見ていたのだが、容貌も性格も醜いヒロイン(?)の登場により一気にホラー映画へと転調する。(作り手たちの)悪意に満ちていると言いたくなる程に「醜女」の描写にも容赦がなく、見ているのが辛くなって来るのだが、鑑賞後には不思議な(そして決して悪い意味ではない)余韻が残り、後になって徐々にその魅力がじわじわ込み上げて来る作品だと言える。

 

 最後はテレビ・ドラマだが、

・「花嫁の父」(1981年。インターネットで視聴。詳細データ→ http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-18629)。

 演出は橋本信也、脚本は山田洋次と荒井雅樹。

 主演は渥美清で、その娘役を演じているのは星野知子。他にも太宰久雄や三崎千恵子、杉山とく子、桜井センリなど「山田洋次」組の俳優が何人も出演している。

 どうでも良い細かいことだが、娘役の星野知子が「魅力」という言葉を、まるで古臭い中年オヤジのように(しかもサラリと)「みりき」と発音しているのが妙に印象的だった(それに対して相手役の三浦浩一はちゃんと「みりょく」と言っていて、本気なのか冗談なのかよく分からない)。