2020年1月31日(金)

 1月も今日で終わりで、いつもながらにあっという間に時が過ぎていく。

 

 (追記)今日は英国がEUを離脱した記念(?)すべき日でもあったのだが、もうとうから余りに失望して来たのでわざわざ記す気にはなれなかった。それでも一応その事実だけを書き加えておくことにする。


 中国湖北省・武漢周辺を中心に発生した新型コロナウイルスによる肺炎が、中国のみならず世界的にも流行の兆しを見せており、此処韓国でも連日大騒ぎである。WHO(世界保健機関)も遅ればせながら、昨日「緊急事態」を宣言をし、中国への渡航や中国からの来訪客を制限する国や地域も出始めている。

 感染者数は既に2002年~2003年にかけて(これまた)中国を中心に流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)の数を超えたが、現時点で治療法も特効薬もない状態であり、ワクチンの臨床試験も早くて今夏以降になるらしく、収束する見通しは全く立っていないと言っていい。

 私が週に1度参加している韓国語の勉強会も、ソウル市の勧告でとりあえず2月中旬まで中止になったのだが、現況を鑑みれば、それ以降も当分再開される見込みはないのではないかと危惧しているところである(なにせ今の私にとってはこれが「現実社会」とのほとんど唯一の接点と言ってもいいので・・・・・・)。

《後日追記。

 周知の通り、新型コロナウイルスの感染はこの後世界中に広がり、この勉強会は予想通り中断したまま、参加者が相次いで日本に帰国してしまったこともあり、そのまま散会となってしまった。》

 

 ちなみにもはや「漢字文化圏」と呼ぶのが難しい韓国では、中国語の地名や人名は基本的に現地発音にもとづいて表記・発音するようになっており、今回の「武漢」も「ウハン(우한)」という表記で、ニュースや新聞でこの言葉に接して暫く経ってからようやく「武漢」のことだと分かった次第である。
 音読みと訓読みのある日本語とは違って、韓国語では漢字の読み方が(例外は意外とあるものの)基本的に1通りしかないこともあり、漢字のハングル表記はどうしても似たものになりがちな上、アルファベットのように大文字と小文字の区別もないため固有名詞と普通名詞の区別がつきづらい。

 さらに外国語の「長音」も基本的に表記しないため、「武漢」も中国語発音では「ウーハン」に近いものの(https://ja.forvo.com/word/%E6%AD%A6%E6%B1%89/#zh)、韓国語では「ウハン」と表記され、中国語らしさは語感からも全く感じることが出来ない。

 このため、中国のみならず韓国の地名でも、文中にいきなり出てくると、それが普通名詞なのか固有名詞なのかが外国人には(おそらく少なからぬ韓国人にも)非常に分かりづらいのである(ちなみに「ウハン」という発音の単語には中国の地名の他に「憂恨」と「牛漢(発音が似ている銀河=ウンハ、ウナの別の言い方らしい)」の2つがある)。せめて漢字表記がされていれば両者の区別は格段に容易になるのだが、同音異義語の区別がつかないことと同様、韓国語で漢字を使用しなくなってしまったことの弊害と言っていいだろう。

 

 実は1月末日締め切りで、とある出版社が主催している翻訳コンテストがあり、全く望みなしと分かっていながらも、年明けから嫌々ながら取り組んでいたため、ブログを更新する暇がなかった。既に何ヶ月か前に一度ざっと訳してはあったものの、締め切りギリギリにならないとやる気が起きない悪い癖から、今回も期限直前になって何とか提出することが出来た。

 もっとも根が小心者であるため、以前は宿題でも仕事でも早め早めにやっておくような性格だったのだが、韓国に来てからすっかり「ギリギリ派」に転向してしまい、友人との約束時間などにもルーズになっていき、約束に遅れて怒られたことも1度や2度のことではない。そうした変化が韓国のせいだと責任転嫁するつもりはないものの、総じて時間に「テキトー」なこの国のやり方に全く影響されていないかと言えば、そうとも言い切れないだろう。

 というのも、例えば上記の勉強会にしても、渋滞などでバスが遅れ、「ああ、このままでは5分遅刻だ」と慌てて走って行っても、教室に着いてみたら誰もいないことがザラ(と言うよりそれが普通)で、しかもその勉強会の参加者はほとんど日本人(女性)なのだから、恐らく日本ではやはり時間により厳しかっただろう彼女たちの「堕落ぶり」(?)に比べれば、私などまだマシな方だとさえ言えるのである。

 「郷に入っては郷に従え」という言葉があるものの、こうしたことには余り慣れてしまいたくないものなのだが、「水は低きところに流れる」という別の言い方もある通り、人間は往々にして易きに流れてしまうものである。他人のことはともかく、おのれ自身はこのまま周囲に安易に流されないように心したいものである。

 

 翻訳コンテストに話を戻せば、毎度のことながら、どうしてこんなつまらない作品を何度も繰り返し読まなくてはならないのかという拷問のような時間を過ごすのが常で、自分の書いた文章ならまだ我慢出来ても、他人の書いた文章に嫌々付き合わなくてはならない翻訳という仕事に、自分はつくづく向いていないと思わずにいられない。よほど好きな作家や作品があって盲目的にそれを訳すか、あるいはつまらないものを繰り返し読む苦しみに却って快楽を覚えるマゾヒスティックな嗜好を持ってでもいなければ、とても長くつとまる仕事ではないだろう。

 そうでなくても、私は見直せば見直す程、文章を際限なく修正・推敲したくなってしまうタチなので、今回のようなコンテストの場合、最低でも10回以上、全体を読み返すことになる(最後は時間切れになって諦めるだけで、もしずっと修正していて構わないとなれば、一生でも修正し続けられるだろう)。そうなるとたとえどんな優れた作品でもしまいにはウンザリしてしまうことはまず間違いない。

 ましてや(翻訳コンテストに挑戦しはじめて恐らく5年くらいになるものの)毎回、どうしてこんなつまらない作品をわざわざ選んで来るのだろうかと思うようなものばかりで、主催者たちの作品選定基準の素晴らしさにはただただ脱帽するよりない。

 最近一部でやたら喧伝されている「韓国文学ブーム」なるものが個人的に全く信じられないのは、最近書かれた韓国の小説で、「これは素晴らしい!」と心底思えるような作品に翻訳であれ原文であれ一度として出会ったことがないからで、同じ韓国文学にしても、数十年前に書かれたものの方に遙かに優れた作品が多いと思わずにいられないのである(今回の翻訳対照作品にも70年代の作品があるのだが、最近書かれたもう1つの作品に比べて、表現力や描写力、主題の扱い方など、あらゆる点で遙かに出来が良い)。

 もっともジリ貧でもはや息絶え絶えの出版界にとっては、中味がどんなものであれ売れさえすればいいので、「ブーム」を作り出してそれに乗っかって金儲けをしたいのだろうから、とにかく何でも絶賛しておけばいいとでも考えているのかも知れない。まさに貧すれば鈍するで、極端な話、一方で嫌韓本を出しながら、他方で「韓国ブーム到来!」などと言って韓国の作家の本を売り出すような節操のないことさえしかねないくらい(私が知らないだけで、実際そんな出版社も既にあるのかも知れない)、今の出版界は困り果てた状況にあるに違いない。残念なことに・・・・・・(しかし先日ジャーナリズムの起源に触れたように、出版社などというものもまた、元々そんなものなのかも知れない)。

 

 閑話休題。

 昨日1月30日は、昨年の「50周年」の時にもこのブログで採り上げたように(https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502042250.html)、私の偏愛するザ・ビートルズがロンドン中心部のサヴィル・ロウ(Savile Row)にあった旧「Apple Corps」の屋上で、「ルーフトップ・コンサート」を行った記念すべき日である(Savile Rowについては→ https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502038251.html)。

 今年で51周年を迎えた昨日のサヴィル・ロウの様子を伝えるある人のブログを見ていたところ、ビルの壁に何やら見慣れぬものがかかっているのに気がついた。どうやら、かつてそこに居住したり重要な仕事をした人の業績を称えるために設置される「Blue Plaque」(ブルー・プラーク)という青い銘板が設置されているらしいのである(Blue Plaqueについての過去のブログ→https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502037939.html)。

 そこで少し調べてみると、上記のコンサートの50周年を記念して、昨年4月にこの建物の壁に以下のプラークが設置されたらしいことが判明した。

 


 関連ページは以下の通り。本来は50周年にあわせて設置したかったらしいが、どうやらWestminster Councilへの申請と認可が遅れて4月にずれこんでしまったようである。

https://blog.beatlesinlondon.com/blue-plaque-erected-to-commemorate-the-beatles-rooftop-concert-at-3-savile-row/

https://blog.beatlesinlondon.com/celebration-for-the-blue-plaque-at-3-savile-row-28th-april/

 

 実は40周年の時にもプラークの設置がかなり具体的に検討されたらしいのだが、どういう訳か当時の家主が渋ったため実現しなかったらしい。以下の記事でその際の経緯と当時設置予定だったプラークの写真(下のもの)が見られる。

 https://blog.beatlesinlondon.com/blue-plaque-for-3-savile-row/

 


 

 ついでにザ・ビートルズ関連の他のプラークについて調べてみると、以前このブログで紹介したベイカー・ストリートの旧Apple shopの建物に設置されていたジョン・レノンのプラークも、2013年にジョン・レノンとジョージ・ハリスンのプラークに置き換えられていたことが分かった(以下の写真。この2人の名前しかないのは、このプラークの設置条件が基本的に故人に限定されているためである)。

 

 

 このプラーク設置の際の動画が幾つか公開されている。

 https://www.youtube.com/watch?v=qMpnObSZzX0

 https://www.youtube.com/watch?v=6kKU0Y05RxI

 https://www.youtube.com/watch?v=HQgJJ7-XoJI

 

 また、2014年には、ロンドン中心部のSutherland House(5-6 Argyll Street, Soho, London, W1F 7TE)にも、彼らのマネージャーだったブライアン・エプスタインのプラークが設置されていることが分かった(以下の写真)。

 関連記事→https://www.usatoday.com/story/life/music/2014/06/30/beatles-manager-brian-epstein-honored-with-blue-plaque/11733981/

 

 

 またブライアン・エプスタインのプラークは、ロンドンでは他にも「13 Monmouth Street, Seven Dials, Covent Garden, London」に設置されているものがあるらしい。

 

 

 同様に以下はリヴァプールにある生家(4 Rodney Street)に2015年に設置されたもの(従って私が英国に滞在していた2011年頃に訪れた際にはむろん跡形もなかった)。

 関連記事→https://www.bbc.com/news/uk-england-merseyside-31558437

 

 

 また、メンバーの一人ジョージ・ハリスンは、ホワイト・アルバム(通称)のデモが録音されたことでも知られるロンドン近郊のEsher(イーシャー)にあった旧自宅(Kinfauns)跡にプラークが設置され、お披露目式には最初の妻であるパティ(・ボイド)が参加し、その際の動画も公開されている(プラークの写真はこの動画に映っているものしか見つけられず、以下の通り不鮮明なものしかなかった)。

 関連記事(お披露目式の動画あり)→https://www.getsurrey.co.uk/news/surrey-news/beatles-guitarist-george-harrison-blue-13085560
 関連動画→https://www.youtube.com/watch?v=AJxaIpgq20M

 パティとジョージの若き日の姿を見るには(名曲「Something」のPV)→https://www.youtube.com/watch?v=UelDrZ1aFeY

 

      パティ・ボイドとプラークの写真

      動画からコピーしたプラークの写真

 

 ロンドン以外にもザ・ビートルズ関連のプラーク(私的なものも含む)はかなりあるようで、以下は今回私がインターネットで見つけたものである。

 

①レディング(Reading, Berkshire, England)にあるバプ「The Fox and Hounds」で、「ザ・ビートルズ」以前のジョン・レノンとポール・マッカートニーが「The Nerk Twins」として参加した1960年4月23日のギグを記念して、2017年のBBC Music Day(6月15日)に他の音楽関連の46個のプラークとともに設置されたらしい(他のプラークの内容や設置場所については以下の記事を参照ください)。

関連記事→https://www.vintagevinylnews.com/2017/06/47-new-blue-plaques-unveiled-across.html (その後リンク切れ)

 

 

②ケント州(High Street, West Malling, Kent, England)に設置されたもの

 

 

③リヴァプール近郊のNew Brighton(Wirral, Merseyside)にある旧Tower Ballroomに設置されたもの

 

④プラークではないが、スコットランド・エディンバラのPrinces Street Gardensに設置されたジョン・レノンの銘板

 

⑤ロンドン南西部のBermondseyにあるパブ「The Old Justice」に設置されたポール・マッカートニーのプラーク

(プラークにも記載されているが、映画「ヤァ! ブロード・ストリート(Give My Regards to Broad Street)」の撮影にこのパブの内部と外観が使用されたそうである)