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 2010年2月9日(火)
 一時、寒さがゆるんで過ごしやすくなったのも束の間、日曜日から気温が急激に下がり、積もる程ではなかったが、昨日はロンドン市内でも雪がちらついた。
 滅多に雪の降らないロンドンでは、少しの積雪でも交通機関が簡単に麻痺してしまう。欧州全域に大寒波が到来している今冬、これまでも何度か雪のために地下鉄やバスの運行に影響が出ているが、まだ暫くは気が抜けそうにない。いまも暗い夜空のなか、かすかに雨滴をふくんだ冷たい風が吹き抜け、降雪を予感させる。

 仕事の帰りがけ、今の仮住いから歩いて数分のところにあるMontagu Squareという場所に寄り道をして来た。
 とうに日は暮れ、目当ての建物の周囲にも明かりはほとんどなく、かろうじて住所表示が読める程度だったが、探していた「あるもの」がどこにもないことを確認することは出来た。これまでも何度かその建物を訪れてはいたが、今朝インターネットで読んだ記事の内容を、自分自身の目で確かめておきたかったのだ。

 中学の頃に意識して聴くようになってから30年近く、私は忠実なビートルズのファンであり続けて来た。
 彼らの公式盤CDはすべて揃えて来たし、昨年発売されたリマスター盤もモノラル・ボックスを揃え、ステレオ盤にも何枚か手を出した。再生装置が悪いこともあって未だに旧盤CDとの違いはほとんど感じられないのが悲しい実態ではあるが、向上されたはずの音を旧盤と聴き比べてみたりもしている。
 20年以上前に初めて英国を訪れた時には、何よりもまず彼らに関係のある場所を訪ねるべく、ロンドンはもちろんのこと、メンバーの出身地であるLiverpoolにも出かけて行った。今回のロンドン滞在でも、Abbey Roadやポール・マッカートニーの家など、かつても訪れた「聖地」はもちろん、彼らに関連のある場所や建物を少しずつ訪ねては写真に収めたりしている。

 話がそれるようだが、ロンドンの通りを歩いていると方々の建物に青く丸いプレートがかかっていることに気付くはずである。これはかつてその場所に著名人が住んでいたことを記念・記憶するためのもので、English Heritageという政府組織が設置しているものが有名だが、その他にも地元の自治体やその著名人に関係する団体がプレートを管理・設置していることもある。
 このプレートは一般にBlue Plaque(ブルー・プラーク=青い銘板)と呼ばれているが、実際にはこのプレートの色は茶色だったり緑色だったりと様々で、形状も普通は丸型だが物によって形も記載されている内容もマチマチである。
 各団体により異なった設置基準があり、中にはSherlock Holmesのような創作上の人物のものもあれば、その人物の顔に似せた像を掲げたGeorge Orwellのようなものもある(Orwellのプレートはこの他にも、映画でも有名なNotting Hill近くや、ロンドン北東部のイズリントンにも設置されている)。
 ちなみに日本人でこのプレートが掲げられているのは、皮肉にもロンドンでの留学生活を「倫敦に住み暮らしたる二年はもつとも不愉快の二年なり」(「文学論」)と記した夏目漱石だけである。漱石最後の下宿であったこの家から通りを挟んだ向い側の建物には、ロンドン滞在時の漱石に関する資料を集めた「倫敦<ロンドン>漱石記念館」が入っている。

 ビートルズに話を戻せば、私の知るかぎりロンドンにおいて彼らに関係するプレートは、上の写真にあるジョン・レノンのものだけである。しかも此処はかつて彼らが設立したApple Corpsのヴェンチャーの一つであったApple shopがあった場所でしかなく、実際にジョン・レノンが住んでいた訳ではない。もしこの場所にプレートを掲げるのであれば、本来はジョン・レノンだけでなく、メンバー全員の名が記載されて然るべきものなのである。
 プレート設置基準に死後何年かが経っていなければならないといった項目があり、その基準に照らしてジョン・レノンの名前だけが刻まれることになったのかも知れないが、別の写真にある通り、まだ「生存者」のいるThe Bee Geesのようにメンバー全員の名前を列記したプレートが掲げられている例もある(ただしこのプレートはJohn Lennonのものとは別の、City of Westminsterという行政機関によるものである)。
(後日追記→その後このプレートは、以下のジョン・レノンとジョージ・ハリスンの両名のものに変更された。ジョージ・ハリスンが死んで何年かが経ち、設置基準を満たしたからだろうか? 関連記事→https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12571576619.html

 


 此処まで書いて念の為にとインターネットで調べてみたところ、ビートルズの新たなプレートの設置許可が下りたという記事を見つけた。そしてその場所こそが、今晩私の訪れたMontagu Squareなのである。
 この建物には最初リンゴ・スターが住み始めたが実際には極めて短い間のことで、その後はポール・マッカートニーやギタリストのジミ・ヘンドリックス(ロンドンで死んだこともあってか、彼のBlue Plaqueはロンドン中心部の、ヘンデル・ハウス博物館のそばに既に存在する)などに貸され、次いでジョン・レノンとオノ・ヨーコが入居することになった。そしてこの二人が製作した「Two Virgins」という実験的なアルバムの有名なカバー写真がこの家で撮影された。あえて書くまでもなく、このカバーにはジョンとヨーコのまっ裸の写真が用いられ、大いに物議をかもすことになった。
 この記事の情報によれば、今回プレートにその名が刻まれる名誉に浴するのは、リンゴ・スターでもポール・マッカートニーでも、ましてやオノ・ヨーコやジミ・ヘンドリックスでもなく、やはりジョン・レノンだけなのだという。またしても死者でなければBlue Plaqueに名を刻む資格はないということなのであろうか。だとすれば、上のThe Bee Geesのプレートとの整合性は果してどこにあるのだろう。
 暫く前にこの建物の前を通った時には、プレートが設置されている様子などどこにもなく、番地を示す数字がドアの上に記されていただけだった。そして今晩、仕事帰りに再びその建物を確認しに行った訳なのだが、そこにはプレートの翳も形もありはしなかった。今もプレート設置の計画が進行中なのか、あるいはジョン・レノンの名前のみを書き記すことにやはり反対でもあって頓挫しているのか、その真相は詳らかではない。
 今後どれだけロンドンに滞在することが出来るかどうか分らないが、是非とも私のいる間に新たなビートルズ関連のプレートがロンドンにお目見えして欲しいと切に願っている。

※Montagu Squareに関する記述については、Piet Schreuders、Mark Lewisohn、Adam Smithによる「The Beatles' LONDON」(PORTICO刊。2008年の改訂版)を参照した。