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 2016年10月9日(日)
 もうひと月ほど前のことになるが、韓国南東部の慶州付近を震源として、マグニチュード5強の地震が立て続けに起きた。韓国で地震観測が始まった1978年以来、最も規模の大きな地震だったそうで、ここソウルでも揺れが観測された(実際、私も揺れを感じた)
 震源地周辺でも震度はおそらく4(中震)程度で、日本的な感覚からすれば必ずしも強い地震というほどではなかったようなのだが(ソウルの震度は1か、せいぜい2弱程度だっただろう)、「古都」慶州には古い建造物が多いせいか建物被害が思ったよりも大きく、また地震に慣れておらずショックを受けた市民も多かったため、韓国メディアは連日のように地震被害や、今後の余震の可能性などを報じ続けた(ちなみに韓国では火災や天災などが起きるとニュースで「財産被害額」が報じられる。しかも大抵は個人的な感覚よりかなり低めの額であるように感じられ、そもそも災害直後に誰がどうやって被害額を算定しているのか、毎回不思議である)。


 その後慶州付近では余震が相次ぎ、1週間後にはマグニチュード4.5と最も規模の大きな余震が起きて、ソウルでも揺れを感じた(これまた震度では1程度)。新聞やテレビでは、今回の地震が2011年に起きた東日本大地震の影響で起きたという仮説や、日本の地震学者の話として今後韓国でもマグニチュード7レベルの大きな地震が起きる可能性があるなどという話が報じられ、耐震対策の徹底や地震に対する意識改革の必要性が訴えられている。朴槿恵大統領も被災地・慶州を訪れて「ゼロ・ベース」から地震対策を進めるよう指示を下すとともに、震源地に程近い月城原発をも視察して原発の安全対策に関して再点検を要請したそうである。


 ここ韓国で地震対策がこれまで十分に為されて来なかったことは、数十年単位では大きな地震が起きて来なかったことを考えれば致し方ない面があるだろう。以前も吉村昭の「三陸海岸大津波」に触れた際、過去に幾度となく大きな津波被害を受けてきた東北地方においても過去の教訓を十分生かしきれなかったと書いたことがあるが(https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502041637.html)、人間というものは「喉元すぎれば熱さを忘れ」、同じような悲劇をまた繰り返してしまうものらしい。

 ちなみに韓国では震度という考えは一般には浸透しておらず、テレビや新聞の報道でももっぱら地震のエネルギー規模を示すマグニチュードが使われている。マグニチュードの大きさがそのまま揺れの大きさや被害の程度に直接結びつかないことは、日本に住んでいる人間なら大抵分かっているはずだが、ここ韓国では事情が違うようである。マス・メディアですらマグニチュードの大きさに応じて揺れや被害が大きくなると思っている人が大勢を占めているようなのだ。
 そこでこの前、「朝鮮日報」にこんな記事が載った。題して「M5.8の強震…韓国社会の無知がもたらす恐怖の連鎖」である(韓国語原文→http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2016/09/22/2016092203598.html)。
 少し長いので要点をまとめてみると、

 9月に起きたマグニチュード5.8の地震を韓国では「強震」と呼び、報道でも「規模5.8の強震が朝鮮半島を揺るがした」、「震度5.8の強震でも被害が少なかった理由は」などという言い方をする。しかしこの「震度5.8の強震」という表現はそもそも間違っているのだ。
 地震の大きさを示すには主に2つの方法があり、1つめは地震の規模を示す「マグニチュード」だ。マグニチュードの大きさは実際に体感する揺れや衝撃とは異なる。マグニチュードが大きくても震源が地表から深かったり遠く離れていれば、揺れや被害は小さくなることがあり、反対にマグニチュードが小さくても震源が浅かったり近ければ大きな被害が出ることもある。
 実際の揺れを示すものが「震度」である。同じ地震でも地域ごとに震度は異なる。韓国では米国にあわせて「メルカリ震度」を採用しており、これには1から12までの段階があるが、「強震」や「弱震」といった規定はない。日本は独自に0から7までの震度を定めており、「壁にひびが入り、壁や柱が壊れる場合がある」震度5を「強震」と定めている。これとほぼ同じ規模の揺れはメルカリ震度では7か8である。今回の慶州地震はメルカリ震度で6、日本の震度では4、つまり「中震」である。
 今回の地震がさほど強いものではなかったと言いたいのではない。重要なのは「地震について正しく知ること」ことだ。日本では慶州での地震以上に強い震度5や震度6規模の地震がたびたび起きているが、この程度ではさほど大きな被害は出ない。事前の準備をしっかりすれば、地震被害はある程度防ぐことが出来るということだ。
 しかし警報システムや耐震設計がどれだけ十全になされていても、今起きている地震がどのような規模でどれだけ危険なのかを国民自らが冷静に判断できなければ、まともな対応は望むべくもない。無知はパニックに、パニックはより大きな被害につながるかもしれない。すべきことは多いが、まずは国民ひとりひとりが正しい知識を持つことが最優先だ。(要約終わり)

 実にまともな正論である。しかしその後も韓国メディアの報道ではマグニチュードと震度を混同し、マグニチュード=揺れの大きさといった印象を与えかねない記述が目立つ。国民ひとりひとりどころか、その国民に正しい情報を伝えるはずのメディア自身が、正しい知識や情報を持っていない状況なのである。
 今回の地震で個人的に何が一番怖かったと言えば、地震そのものよりも建物の安全性だった。そうでなくとも今私が住んでいる集合住宅は、大きなトラックなどが近くを通っただけでかすかに揺れることがあり、本当に「強震」が起きたら果して無事でいられるのか気が気でない。あっという間に建物の下敷きになって即死できればまだいいが、瓦礫の中に閉じ込められて長い間苦しい思いをして死ぬのは堪らない。今回の地震の経験を教訓にして、韓国でも地震に対する認識が深まり、耐震構造の建物が増えて地震被害を少しでも事前に防げるような具体的な対策が取られていくことを祈るのみである。

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 この間に読み終えた本は

・ゲーテ「ファウスト(第一部)」(集英社文庫 池内紀訳)
 第一部は大昔に新潮文庫の高橋義孝訳で読んだことがあるのだが、多くの人の例に洩れず、第二部に入ってあっさり挫折したまま今日に至っている。
 そこで読みやすいと評判の池内訳を手にとってみたのだが(もっとも私はこの訳者に対しては、白水社版の「カフカ小説全集」の原文に忠実とは言えない意訳に接して以来、不信感を抱いている)、終始「ファウスト」はこんなに「軽い」作品だったのだろうかと思いながら読み進めることになった。
 今は第二部の途中を読んでいるところだが、第一部は一読後、Kindleの森鴎外訳を参照しながら改めて最初から通読し直してみた。その限りではこの池内訳も決して原文を大きく逸脱している訳ではなさそうなのだが、鴎外訳もざっと眺めてみたところで、韻文で書かれたこの「ファウスト」という作品を外国語(とりわけ今回のような散文訳)で読むことの限界を痛感しもした。

 字面を追う限りではこの第一部は特に難解な作品とは言えないのだが(もっとも有名な「ワルプルギスの夜」はやや厄介である)、同時にこれが世界文学の傑作中のひとつと見なされている理由をはっきりと理解しかねるのも正直なところである。おそらく原文の韻律を吟味しながら読み進めないかぎりその真価を十分に測ることが出来ないに違いなく、原文を読むために今からドイツ語を学習するほどの気力も能力も持ち合わせてはいない私には、この作品は永遠に「一応表面上読んではみた」作品のひとつに留まるだけかも知れない。
 とりわけ主人公ファウストの年齢に近づいた私自身が、ファウストとは反対に「感情」や「熱情」よりも「知識」や「知性」に対する渇望が日々大きくなり、これまでの勉強不足を後悔するだけの「老年」を迎えつつあることから、間違ってもこれから「時よ、とどまれ、おまえは実に美しい」などという言葉が口をついて出て来ることはまずないだろう。

・松本清張「点と線」(文春文庫Kindle版)再読
 アマゾンKindleのセールで売られていたので再読。書かれた時代のせいかも知れないが、犯人が鉄道のかわりに飛行機を利用することをなかなか思いつかなかったり、容疑者が殺人事件の起きた場所になぜいる必要があったのかと何度も自問するところなど(言うまでもなく「殺す」ためにいたのだ)、事件を追っている刑事が余りに愚鈍過ぎてイライラの募る読書である。初期の短篇作品では実に切れのいい達意の文章を書いてきた松本清張にしては、全体に文章も凡庸で粗雑である。かつては名作と言われた作品であるが、残念ながら時代の洗礼には耐え得なかったようである。

・「第15回黄順元文学賞受賞作品集(雪ひとひらが溶ける間)제15회 황순원문학상 수상작품집(눈 한 송이가 녹는 동안)」
 今年の韓国文学新人賞の課題作品が収録されているために仕方なく購入したものだが、ノロノロ1年近くかけてようやく読了した。受賞作である表題作は先のブッカー国際賞を受賞した韓江(ハン・ガン。https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502041623.html)の短編小説。他にも最終候補作9作とハン・ガンの自選作品「エウロパ」が収録されている。
 各作品には文芸批評家の極めて「文学的」な批評(どれも肯定的な内容である)がつけられているのだが、正直私にはさっぱり理解できない持って回った言い回しの文章ばかりで、総じてどの作品も極めて狭い世界の話ばかりで全く面白くなかった。せっかく大枚はたいて買った本であり、語学の勉強のためと思って無理に読み通しはしたものの、韓国では推理小説や時代小説などの娯楽文学が余り発達していないらしいこともあり、こんな作品ばかり読まされたのでは本を読む人間が少なくなって当然だという気にさせられた。

 もっとも日本でも文芸誌に載るような作品はやはりこんなものだろうから、この種の旧態依然たる「文壇的」文学はもはや国や場所を問わず、その役割を実質的に終えてしまっているのかも知れない。

 映画(ドラマ)の方は、

・「帰郷」(ハル・アシュビー監督) 3.0点(IMDb 7.3) 日本版DVD
 ヴェトナム戦争で心身ともに「傷」を負った人々を描いた作品だが、公開時の1978年にはそれなりのインパクトを持ちえたのかも知れないが、「ディア・ハンター」(これは同78年の公開)や「地獄の黙示録」、「フルメタル・ジャケット」などのヴェトナム戦争を題材にした傑作群を見て来てしまった後では、実に類型的で凡庸な反戦やフェミニズム思想にまみれた作品であるとしか思えない。
 さらにこの監督の特徴なのか、前回の「ハロルドとモード」同様にBGMが過剰で映画にまったく集中できないのが難点である。もっとも同じハル・アシュビー監督作品でも「さらば冬のかもめ」や「チャンス」といった作品に対してはそんな印象を持った記憶はないのだが…。

・刑事コロンボ第2話「死者の身代金」(1971/米) 日本版DVD
 これが本当の「パイロット版」であり、後のコロンボ像にかなり近づいてきてはいるものの、まだ事件の解決方法などは洗練されておらず、前作同様、トリックを用いて犯人をひっかけて逮捕に導くという手法は今ひとつすっきりと来ない(もっとも私が忘れているだけで、それこそがコロンボらしいやり方なのかも知れないのだが)。正直これら最初の2作品だけではコロンボの魅力は十分描かれているとは思えず、これでよくシリーズ化にこぎつけられたなと思ってしまう。

 コロンボつながりでピーター・フォークの出演作を3作続けて鑑賞。
・「ビッグ・トラブル」(ジョン・カサヴェテス監督) 1.0点(IMDb 5.2) 日本版DVD
 ジョン・カサヴェテス監督作品というだけで有難がる映画マニアも少なくないようだが、これは0点をつけても良いようなおふざけ映画としか言いようがない駄作である。むしろこれがあのジョン・カサヴェテスの遺作となってしまったことを大いに悲しむべきだろう。

・「マイキー&ニッキー/裏切りのメロディ」(エレイン・メイ監督) 3.0点(IMDb 7.4) 日本版DVD
 口先では愛情や友情を語りながらも、結局は自分が可愛いだけの最低な男をジョン・カサヴェテスが好演。主人公の駄目男ぶりを目の当たりにしていると、こんな人間なら殺されても仕方がないだろうという気にすらなるのだが、初めから分かりきっているはずの「悲劇的結末」の描写にも、それなりの衝撃を覚えてしまうのは、やはりジョン・カサヴェテスの魅力とピーター・フォークの迫真にせまったうろたえぶりゆえだろうか。

 

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・「カリフォルニア・ドールズ(「ドールス」の表記もあり。原題「...All the Marbles」)」(ロバート・オルドリッチ監督) 4.0点(IMDb 6.3) 日本版DVD
 他愛ない女子プロレス映画だろうと思って気楽に見始めたのだが、意外にもかなりの痛快作である。主演の二人はプロの選手ではないにもかかわらず試合の場面は迫力満点で、人情モノとしてもついついホロリとさせられてしまう。ピーター・フォークの演技はいつもながらに堅実だが、それ以上にそれぞれに悩みを抱えた主人公の女子プロレスラー役を演ずるヴィッキー・フレデリックとローレン・ランドンが実に魅力的でリアルな役作りに成功している。
 主演の2人は格別美人という訳でもないし、個人的にプロレスにもまったく興味はないのだが、極めて予定調和的な結末であるにもかかわらず、最後は思わず心のなかで喝采してしまったほどである。
 「キッスで殺せ!」や「何がジェーンに起ったか?」などでその奇才ぶりは知っていたものの、世評の高い「ロンゲスト・ヤード」に大いに失望させられたこともあって多少疑心暗鬼になっていたのだが、最後の最後でこんな軽めの題材であっさり傑作を撮りあげてしまったオルドリッチはやはり恐るべしである。手持ちの作品もこれから見てみなければならないと思っているところである。
 「ゴッドファーザー」で殺し屋ルカ・ブラージを演じたレニー・モンタナが、顔付きは強面(こわもて)でありながら人の良さそうな(ちょっと抜けた)用心棒役で出演していてちょっぴり嬉しかった(下の写真)。


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・「脱出(原題:Deliverance)」(ジョン・ブアマン監督) 3.0点(IMDb 7.7) 日本版DVD
 ロード・ムーヴィーならぬ川下り映画だが、映画自体がヴェトナム戦争をめぐる暗喩となっていると言ってもいいだろう(1972念の公開)。戦争や貧困によって閉塞感を抱えた友人たちが川遊びをしに行くという設定から、「ディア・ハンター」やレイモンド・カーヴァーの小説(「足もとに流れる深い川」)を想起させる作品でもある。
 ジェイムズ・ディッキーによる原作小説は、村上春樹と柴田元幸のプロデュース(?)による「村上柴田翻訳堂」のひとつとして最近再刊され、邦題も当初の「わが心の川」から原題に近い「救い出される」という題名に改められたそうである。