わたしの自分史から読み取る、自分軸完成の過程です。

ご参考になったら嬉しいです☆

 

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「誰かに愛されないと価値がない」〜ツインレイとの出会い


2014年、離婚してから3年後に
ずっとキープしていた自分のヴェルサイユの

アパートに猫を連れて、
また本格的に一人暮らしをスタート。

その時、わたしの周りにはたくさんの友人が

いましたが、本当に心を許せる友だちって、

遠く離れた日本にいたんですよね。

わたしの以前までのパターンでしたが、
一人になると、ちょっとさみしいな〜
と思って、誰かを探す。

わたしは、自分だけでは存在価値を

感じることができない人でした。


その時は、それが自分にとって普通で

気づいていなかったのですが、

誰かに愛されないと、生きている価値がない
=生きている意味を感じられない

だったんですよね。

今なら言えますが、『依存』という状態だったんです。


「誰かに愛されないと価値がない」
ということは、


自分では幸せを感じられない、ということ。


だから、恋人が必要。

愛されたり、好きな相手になにかして

あげることで、自分の存在価値を見出していた。

これは、「共依存」というものでした。

そういう依存している自分が惹かれたり、

引き寄せる相手というのは、その自分に見合う相手です。


逆に、自分ひとりですでに満たされている

自立しているような人とは
恋愛にならない、好きにならないものなんですよね。

つまり、DVしていた元夫も、その時の

わたしの意識状態で見合った相手だったので

わたしの意識に合った現実があらわれ、
DVも起きた、ということなんです。


当時はそんな意識のことはわかっていなくて


悪いのは夫。
この人が悪いから。


被害者意識でした。


被害者意識でいると、加害者を引き寄せてしまう。

被害者には加害者が必要だから。


でも、その加害者、というのは、

実は被害者の被害者であるんです。

本当は、被害者も加害者もいない。
それは、ある面、一面からだけ見た

評価の仕方なんですよね。


そういうわけで、元夫と離婚したあとも、
わたしの外軸(自分軸の反対で、自分の

外に軸を置いていること。他人軸と同意)の部分は前と変わっておらず



今では、

 

自分はこれでいい
相手もそれでいい

と、中心軸で考えられるようになりましたが

相手が悪い=自分は被害者

か、
自分が悪い という
他責と自責の間を行ったり来たりしていた状態でした。


羊くんの時も、
まだ大差なかったと思います。


自分の内側が外に反映される


って耳にしたことはあっても、
それが体感として、それを感じられるのは、
もっともっとあとになります。


その内側を向くきっかけをつくった出来事。


今こうして自分を癒す、自分軸のコーチを

生業にするようになったわたしが

創られるきっかけとなったのが


羊くんと別れてまもなく、

出会ったツインレイと呼ばれた彼です。


長くなってきたので続きはまた次回に。

最後まで読んでいただきありがとうございました☆