娘と離れて暮らすこと。。(前編) | タイの海辺の田舎町でスローライフ

タイの海辺の田舎町でスローライフ

タイで35年間暮らしている元バックパッカー。7年半前にバンコクのカオサンとシーロムで17年間続けてきた「竹亭」を閉め、タイ南部の海辺の田舎町プラチュアップキリカンでタイ妻と日本料理店「富士山」を開店。お陰様で只今、7年目です。

私が妻の故郷プラチュアップキリカンに移住し

ここで起業して再起を目指すにあたり

自分が一番抵抗があったのが

娘と離れて暮らさなければならなくなることでした。

 

なぜなら、娘はバンコクで

躾を厳しく教えてくれる学校に通っているし

仲の良い友達もたくさんいるから

プラチュアップキリカンに転向させるのは

可哀想だしもったいなくもあります。

 

しかし、妻は実家に帰って

年老いつつある両親の傍にいて親孝行をしたいと言う。

 

そうなると、

もし私がバンコクで起業しても

私一人で店をしながら娘の学校の送迎や面倒を見ることは

現実的に無理があります。

 

すると、

残る選択肢として

妻と妻の家族が誘ってくれている

プラチュアップキリカンでの起業が大きくなってきます。

 

そして、様々な状況が

自分がプラチュアップキリカンで再起を目指すという

大きな流れを示唆しているのです。

 

でも、そうなると娘と離れて暮らすことになり

最愛の娘と毎日会えなくなる。

 

抱きしめることも

柔らかい髪を撫でることもできなくなる。。。

 

竹亭の閉店を決断した夜の明け方、

 

自分がもっと頑張っていれば、

もっと成功していれば

バンコクで家族3人仲良く暮らせたのに。。。

 

眠る娘を抱きすくめながら

そんな自分が情けなくて

口惜しくて

切なくて

涙が止まりませんでした。

 

こんなことにならないよう

今まで必死で踏ん張ってきたのに

とうとう自分は負けてしまった。。。

 

やがて気配を察して

目を開けた娘が

私の胸に寄り添うように顔を埋めてきたのです。

 

私の涙はなおさら止まらなくなりました。

 

読者の方は

どうして母親である妻が

娘をバンコクに残したまま

地方の実家に戻りたいのか。

 

娘と一緒に暮らしたくないのか。

娘のことが心配ではないのか。

 

その辺の事情を

不思議に思われると思います。

 

長くなりますので、その点はまた明日書きます。

 

 

3つのブログランキングに参加しています。

よろしかったら応援クリックを

お願い致します。

たくさんの人気ブログにも

出会えますよ!

 

にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ 

 

 

タイ・ブログランキング