私の旦那はクリスチャンで、食事の前やどこか出かける時から何か心配事があるときには必ずお祈りをする。
お祈りって言っても大層なものじゃなく、車の中で、家の外で、思ったときに神様にお願いと感謝をするイメージで、行けるとき、行きたいと思ったときは家族で日曜に教会へ行くこともある。
仕事ばかりで大変そうなので、先週の日曜日ひさびさに教会へ行った。子供達はチャーチスクールといって大きい子たち、小さい子達に分かれ見てくれるので、大人たちは牧師さんのお話を聞く。
その日のテーマは、「許すこと」
7年間キューバに人質として監禁されていた人の話。拷問をされ、壁につながれたまま、渡された一冊の聖書を読んで、クリスチャンになった。
7年後解放されてから、記者に「この人たちを許せますか」という質問に対して、「クリスチャンである限り、許すという選択肢しかない。どんなことをされたとしても」と答えたそう。
クリスチャンの世界では、キリストが私たちの罪を背負い、神様がそれを許したことで私たち人類の罪が許されたというから、神様に許されたのであれば私たちも許さなければならないというから考えらしいのだけど。
長年生きていると、悪い意味で本当に信じられない出来事に合うことがある、よね。
日本に帰る前、仕事関係で人間を全て疑いたくなるような出来事があって、この話を聞いている間その事や色々な過去のことが頭に浮かんだ。
クリスチャンの理由以外でとっても印象的だったのが、「自分のために、許す」という事。
怒りや憎しみは家族、友達、最終的に健康にまで害が出る。(そういう苦い気持ちを抱えたまま生きる人の早死率は女性は3倍、男性は7倍ってその日の話では言ってた)
こんな事あったの信じられる⁉️って言い続ければ、友達も減るし、家族もうんざりするし、それが間違った方向に行って殺人事件とか起きちゃう。だから、私は間違ってないって思っても、ただその出来事をやり過ごし、スルーする技術を身につけるって事が大事なんだって。
それが、許すこと。
クリスチャンでいう許すというのは、その敵になった相手のために祈ってあげるところまで行くんだと思うけど、そうじゃなくて「自分のために、その嫌な出来事をスルーして苦い気持ちを心に留めない」っていうだけでもいいんだって思うと、なんだか色々な事が軽く思えてくるような

煮え繰り返る怒りを感じる時とか許せるはずないって思うけど、相手の為じゃなく、「自分の健康のためにスルーさせて頂きますね。」って選択をする。
急にどうした⁉️って感じの記事になってしまったけど、、、なんだか自分ではどうすることもできないことが起こったとき気持ちの持ちよう、シェアして見ました
