今日は、七年目の結婚記念日。
毎年旦那が夕飯を作ってくれ、みんなで食べる。
10日前から絶賛別居中で、旦那が今日は子供たちだけ読んで一緒に夕飯を食べて一泊家に泊まってもらいたいという。
娘は、私が行かないのなら嫌だというので、ご飯だけどこかでみんなで食べることにした。
たまにまだ急に泣き出すときがある娘。
これだったら、私は旦那と話などせず、旦那に子供たちを合わせることもしない方が子供たちのためなのではないかとかも思う。
「ごめんね、もうあれから飲んでいない、本当にごめん、今回は本当にわかった、リハブに行くことに決めた」何回か会いに来て謝られるのだけど、その先の「さみしい、一人では何もできない、助けがほしい」などの言葉にただ、「私はその過程を十分に味わってきたのですが、今更なぜ私にそれを伝えなきゃいけないの」と思う。ただ、自分がこんなにつらいんだと伝えたいだけのように思う。
戻ってきてとは言わないものの、そういう旦那を「許す」とかもうそういう段階ではなく、ただただ謝られて、いかに一人で生きていくのが大変か分かった、子供たちがいなくて寂しい、そういわれて何を私に求めているんだろうかと怒りを覚える。
許せない私、受け入れられない私を責められたような、また私が悪者のような気分。
私の心はまだ怒りや悲しみに支配されている。
私たちの住む場所はとても小さい町で、低所得者や生活保護で生きている人も多く、アル中が本当に山のようにいる。
週末は飲酒運転する車が多いから運転には気を付けてという、日本とは違い、いいのか悪いのかもっとアル中が身近な問題であることは確か。お酒を買うお金がないから缶をゴミ箱からあさってリサイクルに売ってみたり、駐車場で物乞いをしてみたり、マウスウォッシュやヘアスプレー(アルコールの成分が入っているらしい)を入れて飲んでいる人もいるらしい。
私よりもう少し上のレベルでアル中の家族と戦っている人は、「病気」ということを理解して、専門的な機関に行くことをして、定期的にカウンセリングに行って、毎日毎日戦っている家族を支えようとしている。
また飲んでスリップしてしまうことを繰り返しても、希望をもって様々な形で支えている家族もたくさんいるし、その結果10年飲んでいない、20年飲んでいないという人も身近にいる。
私もその努力はしてきた、それでも糖尿病と同じ、繰り返して一生付き合っていかなければいけない問題。
「病気になった旦那を見捨てる」ような罪悪感と、「意思で治る病気なのに」という疑問や怒りがある。
もっともっと妻としてできることはたくさんあるんだと思う。
専門的な知識で、専門的な対応をすれば治っていく可能性はあるのかもしれない、でも治らず一生続くかもしれない。
「愛」と「覚悟」があるかどうか。
毎回、よしもっとこうしてみよう、そう思うのだけど、その気力はスリップするたびにどんどん弱まってきて、今はあるとは言えない。
病気の旦那に「お前が必要なんだ」と言われ、「でももう疲れました、さようなら」というのは明らかに私が悪いように見える。本当に本当に何回も書くけれど、「責められる」、「私の責任にされる」ことに心底疲れてしまって、「また私が悪いの?!」って逐一思ってしまうようになった。
それは旦那からの発言だけではなくて、こちらの母や友達からの言葉にも感じてしまう。
アル中は病気だから、家族は身体的に精神的に「被害者」なのだけど、自分が「被害者」にならないためにその「加害者」を支えなければいけない。
傷つけたその張本人を支えようとする気力。ナイフで刺された、その刺した人を更生させる手伝いをしなければいけないみたいな。相当な精神力が必要だよ。
リハブに行き、教会に通い、お祈りをし、一日一日、飲まないことを目標にする旦那を、今は感情的になることもなく「よかったね、がんばって」とは思う。一方で(これは言えないけれど)やっぱりスリップを繰り返す経験から、まだ信じてはいないし、それを支えようという気持ちにもなれない。
一人で頑張って、というか頑張っても頑張らなくてももうどちらでもいいよ。
戦っている旦那を残して、妻は逃げるって思われる?
私は薄情なのかな?
でもさ、私も本当に頑張ったんだよ。
もう頑張るのには疲れた、平和な毎日をハッピーに生きていきたい。それだけ。
いつの日か、私がまた信じられる時、戦う気力を取り戻すときが来るのかもしれないし来ないかもしれない。
分からないから、答えは出せない。
でももう一緒に戦って被害者になることには疲れたから、「一緒に戦うことはできない」そういうことなのかな。
専門的な治療でよくなるといい、でも一方で希望だけを見て生きていくことにも疲れた。
ほんの少しの希望とたくさんの不安だけで生きているような毎日だから。
別居して、ここに書いてみて、毎日考えることもコロコロ変わってきて、それはそれで当たり前なんだと思う。
同じように戦っている人がいるというのを確認するだけでも、心が少し楽になる。